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北前交易品偽装事件

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一昨日は気の置けない友人と久しぶりに痛飲。
やっぱり同世代の友人とは、話が合ってはずんでいく。
かれは最近、ようやく歴史小説のおもしろさに目覚めたのだそうで、
江戸期や維新期の歴史小説、それも司馬遼太郎ものに凝っているそうだ。
まぁ、わたしは学生の頃からのファンなので、
かれが興味を持ったくだりなど、ほぼ頭に入っているので、
どんどん突っ込みを入れていく。
そうすると我が意を得たり、というような感じで
その当時の時代背景などに話が膨らんでいく、っていうような次第。
「おまえ、いい趣味持っているなぁ」
と、話ながら感心されておりましたが、
そんななかで、高田屋嘉兵衛のことに話が及びました。
まぁ、痛快な日本人ということで
司馬遼太郎さんが描き出した人物像のなかでも
最上位に位置する人物だと思います。
かれは北前交易という、船を利用した日本海側の交易品流通ルートで
巨利を獲得したことで知られています。
そんなことで、江戸期の最先端ビジネス・北前交易のことについて・・・。
先日行った余市で見た北前船のミニチュアと、当時の主要交易品、
ニシンの金肥の俵もの詰め作業風景写真です。
江戸期はファッション産業が隆盛を極めた時代で、
最新ファッションとしての京都の衣類が
全国に下っていく時代。
その産業興隆を支えたのが、木綿の生産拡大だったと言われています。
木綿は畑で生産されるけれど、
肥料がたっぷりと必要な商品作物。
その肥料として、北海道で大量に獲れるニシンに注目が集まったのですね。
高田屋嘉兵衛 さんなどの成功は、
こういう時代背景が基本にあったわけなのです。
で、そういう知識はあったけれど、
実際にどのようにニシンの金肥が交易船で運ばれたのか、
恥ずかしながら、やはり余市に行ってみてわかった次第(恥)。
まぁ、考えてみれば当たり前なんですが、
植物繊維で組み上げる俵に詰めて出荷していたのだそうです。
江戸期の社会の仕組みを考えれば、当たりまえですね。
基本はコメ生産なのですから、その余剰生産物である俵がいちばんふさわしい。
で、写真のような俵詰めが船で出荷されたのでしょうが、
そこから実は、船上で多くの場合(としかいえない)
俵の詰め替えが日常的に行われていたのだとか・・・。
まぁ、時間はかかるのだし、ただ漫然と運ぶより、
船員の仕事にもなる・・・。
察しのいい方はお分かりの通り、大きいのから小さいのに詰め替えるんだそうです。
要するに1個のものを2個以上にして利益を倍以上にしようという「偽装」の算段。
そもそも北海道のニシン金肥はいい値段で売れるし、需要はきわめて高い。
ならば、多少ごまかしてもいいだろう、ということのようです。
そのように小さくなって荷揚げされても、飛ぶようにさばけた。
北前船の船主の儲けはどんどん大きくなっていった。
もうやめられない、っていうことなのでしょう。
というようなことを余市の方たちの説明で伺いました。
なにやら、当節の食品偽装などにつながってくる不正の伝統(笑)を感じます。
まぁ、とくに証拠は確認できないし、とっくに時効成立(笑)のことですが、
そうした事情は容易に類推できると思いますね。
当時は、そのような交易についての法律や、チェック体制は
事実上はなかったに等しいでしょうし・・・。
あったにしても、賄賂などでどうとでもなったことでしょう。
交易という世界では、こういう側面も
相当に深く考えていかないと、実態への想像力が失われてしまう、と思いますね。
まぁ、余市のことなので、余談の余談です(笑)。
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