先日、ある展覧会を見ていて
時代を表現するのに、当時の代表的な雑誌がピンナップされていた。
わたしが少年期から青年期に至る時期に創刊された平凡パンチが
そこにあって、まったく微動だにできなくなってしまった(笑)。
週刊「平凡パンチ」創刊号。昭和39(1964)年5月11日号です。
秋には東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年。
なので、わたしは12歳だったことになる。
ちょうど中学1年生になっていたのだと、計算してみてはじめてわかる。
長兄が24歳になっていたはずで、かれが購入したものだったと思う。
マセた少年は、垂涎の思いで眺めていた記憶がある(笑)。
その後、日本人が好んだスタンス、
やや「進歩的」で風俗に対して開放的で、反権威的な時代の空気感。
そういうものが、瞬時に立ち上ってきた。
出版の側から見てみれば、アメリカという圧倒的な強者の文化と
敗戦した国の民族的性倫理観のはざまを見ての
その隙間を埋めるような行為であって
それほどの出版的使命感などは持っていないことは明らか。
アメリカでは平然と流通している性風俗に日本の国家権力が
正面切って異を唱えない確信はもっていたに違いない。
ただ、民衆の側は、へぇ〜、こういう時代になったんだ、と
力道山のプロレスとも共鳴対応するような時代の変化表現を
わかりやすく受け取っていたのだと思う。
いまでは信じられないようなことだけれど、
この雑誌は一時期、100万部以上を売っていたのだ。
いい時代だったとも言える。
いま、インターネットの時代になって、
雑誌がこのようなインパクトを社会に対して持つということは
きわめてレアなことになってきている。というか、
たぶん、そういうことは今後とも起こりそうもない。
そういうことが、そのまま「社会の成熟」ということでもあるのだろうと思う。
しかし、こういう雑誌のことも
やがて「歴史」になっていくのだという深い感慨は持たざるを得ないですね。
Posted on 3月 17th, 2014 by 三木 奎吾
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