長期出張が続きます。
きのうは群馬県太田市から栃木県と茨城県の県境まで移動して、取材。
で、若干の時間があったので、足利に寄り道。
歴史大好き男ではありますが、なかなか足利までは・・・でしたので、
今回念願が叶った次第。
とはいっても、同行したスタッフは「足利ってなんですか?」
という反応。「だから、足利将軍家の発祥の土地で・・・」
と説明しなければ、まったく知られていないことが判明しましたね。
まぁ、日本の歴史教育ってそんなものですね。
八幡太郎義家がこの地に家系を残したのが足利の由来。
隣地に分家したのが新田氏。
頼朝の一統が滅亡した後、「源氏嫡流」にもっとも近い、という理由で
関東武士団からの声望が高かったのが、足利だったのですね。
一貫して、得宗北条家と友好的な関係を築き、
反乱を起こす際にも、幕府の一番大きな軍団指揮権を任されるほどだった。
そのような北条家との関係は足利の地が
豊かな織物生産地だったことが大きいという説があります。
司馬さんの文章などに出てくるのですが、
ようするに日本の権力者同士での贈答・賄賂のいちばんのものは
一貫して織物などの布製品だった、という説なんですね。
まぁ、そういうことはまた別の機会にするとして、
なんと、高名な「足利学校」は火曜日定休で、見学不可。
え、おい、だったわけです。しょがないですね、なんで火曜定休なのか、
ふつうは月曜定休が一般的ですよねぇ・・・。
で、やむなく、足利の一族の旧邸宅地に建てられた菩提寺・鑁阿寺一帯を見学。
で寺の屋根の端を見ると、写真のように、どうみてもこれは、そう、シーサーがおりました。
って、????。
寺にも狛犬替わりのものがあるというのは、まぁよくありそうですが、
瓦屋根の上に可愛いポージングのシーサーとは、意外や意外。
どうなんでしょうか。シーサーは狛犬の変形でしょうから、
ありうるとは思うのですが、ここは関東北部。
さて、作り手の交流がここまで及んでいたのか、
謎が頭のなかで、猛烈な勢いで逆巻いてきましたね。
まるで、スフィンクスの謎かけのようで、でも
こんなかわいいシーサーの謎かけなので、なんか、こっちもニコニコ。
さてさて、どんな中世史ロマンが、この事実から見えてくるのでしょうか?
ちょっと、歴史探究のテーマになりそうで、楽しいですね。
読者のみなさんで、なにかこの件で情報をお持ちの方は
ぜひ教えていただけませんでしょうか? 楽しみにお待ちしております(笑)。ではでは。
Posted on 11月 14th, 2007 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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