ようやくリアス式海岸地域でも、高台移転のための「防災集団移転」の
メドが立ってくる地域が出てきています。
きのうはそういった動きを取材してきました。
そういう動きのひとつの起動力になっているのが、
住田町の動きです。
大船渡と陸前高田に接した山間の町として、住田は
「気仙地域」という広域圏を上記の2市と形成しています。
震災後、いち早く木造での仮設住宅に取り組み、
全国的に大きな衝撃も与えました。
なぜそういった動きが現実化したのか?
それは、長く消費地としての2市、あるいは昭和40年代までは
関東の大消費地まで、町の森林資源を供給し続けてきた歴史があったのです。
きのうは「住田住宅産業」の佐々木社長のお話しを伺わせていただきましたが、
興味深いお話しばかり。
とくに感銘を受けたのは、
「木挽き棟梁は、大工棟梁よりもえらかった」という部分。
古民家などで、根曲がりの木を梁に活用している現場を見ることが多いのですが、
それは、具体的にはそういった目利きをする「木挽き棟梁」という存在がいて、
大工棟梁に、どの木をどのように組み合わせるか、
指示を出していたというのです。
確かに、山を巡り歩いて木を選び、
そのそれぞれに適切な役割を割り振っていくというのは
木造での家づくりの核心ポイント。
木の生産地である住田には、そうした職種が存在して
社会的にも高い位置を占めていたと言うことだそうです。
いわば木造建築生産システムの中核であり、基本部分でしょう。
また大工棟梁は年間に2棟建てるだけでも十分な所得を得ていて、
しかも社会的に弟子を取るまでの高い位置を保つことが出来たそうです。
それは一方では、「建ててやる」という傲慢な意識ももたらした。
それがいつしか「伝統」にまでなってしまって、
昭和40年代以降の高度成長社会の中で
非効率の代表のように指弾され、社会的な地位を失ってしまった。
しかし、とはいえ、
生産システムのすべてが非合理なわけではない。
今日的に活かさなければならない大きな知恵もそこにはあった。
そんな強い印象を受けた次第です。
Posted on 4月 17th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅性能・設備
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