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グローバル資本主義時代の地域企業継承

きのうは札幌市内で、事業承継セミナーというのが
札幌商工会議所の主催で開かれておりました。
右肩上がりの時代には、それこそ税金対策というようなことが
主要なテーマだったのでしょうが、いま、時代は大きく変わってきて、
そもそも事業環境基盤が不確実なものになってきて、
どんな業種においても事業継承というものの本質的意味合いは
大きく変わってきているのです。
「下流志向」などの概念を提起された教育学専門の
神戸女学院大学の内田樹先生の最近の発言に、よく気付かされるのですが、
そもそも国民国家とグローバル資本主義の相克という現代社会の
主要基底テーマを念頭に考えていくと
地域の中小事業者というのは、どのようなモチベーションで
「事業継承」ということを考えていけばいいのか、
非常に悩ましいなぁと思わされるのです。
先生のお説でいけば、そもそも「近代国家」という存在も歴史的存在であって
たかだか400年程度の歴史の検証を経たものでしかない。
わたしたちは無自覚的に、国という概念のなかで
その一構成要素としての自分・個人という存在を考え、
またそのように「教育」されて、
国といういわば共同幻想との関係を無自覚的に前提にしている。
しかし、現代においては経済の主体的存在である企業は、
グローバル資本主義の方向性、価値観認識の方向に大きく影響されざるを得ない。
そもそも事業環境が、世界的な規模での価値観に大きく変化してきている。
もっとも安価な資源と労働力にシフトして
企業はもっとも有利な立地を求めて遷移していくだろう。
さらに、もっとも市場性の得られるマーケットでビジネスを展開する。
もっといえば、市場性の低いところにはシフトしなくなる。
最小のコストで最大の利益を追求する。
国境はとくに関係がないし、「国民」的義務にも無関心であることが必然。
原発事故によるエネルギー問題がクローズアップされる中で
グローバル資本主義としては、そうであれば、
日本に企業の根幹的な立地を求める意味は
どんどん過小になって行かざるを得ないと言われていた。
日本が原発を停止しているなかで中国やインドは原発投資に積極的なのが現実。
それは、グローバル規模で考えれば必然の企業誘致策。
そのようなグローバル資本主義が支配する事業環境の中で、
地域に根ざした企業という存在は、どのように「永続」させる道があるのか。
あるいはその必要性はあるのか。
いうまでもなく、もっとも基本的な存在意義は、
その地域の中でかけがえのない「雇用」を生んでいるということでしょう。
その一方で、企業の寿命は平均で7年だとか言われるようになって来ている。
わたしは創業から30年以上にはなっているのですが、
その程度の存続で社歴が長い、というように言われて驚く次第なのです。
どんどん目先価値にしか着目しないように
事業環境が激変していく中で、
それでも地域でビジネスを展開していく、さらにそれを
「事業継承」していくことは、並大抵のことでないことは自明。
まぁそんな問題意識で聴講してきた次第なのです。

日本国家としても、
このような地域経済主体の雇用確保努力について、
ようやくその価値を確認しようとはしているようなのですが、
さて、その意思の法的表現はあまりにもお粗末、というのが実感でした。
国の施策としての地域中小事業存続努力は、
まだまだ事実認識のレベルからして
「なにそれ」という状況なのだと言うことが再確認できた次第。
こういった想像力の欠如・不足、あるいは無知が
ここまでの日本社会・その表現たる官僚機構システムに
根強くあり続けているのだと思います。
東日本大震災からの「復興」のダイナミズムの欠如とは、
この基本的な基底問題への国家意識が空虚である証左なのではないか。
グローバル資本主義に対して政策的におもねり続けるのであれば、
それと同等以上の施策を地域中小企業に対して行っていく必要がある。
その萌芽は見えるけれど、いまのところ、
ほとんどこれでは機能しないだろうと思われました。

<写真は、江戸あるいはそれ以前から存続してきた商家民家建築の店頭>

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