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五十嵐淳さん新作住宅見学 02

窓の開け方

きのうの続きであります。
五十嵐淳さんの作品では、わたしは窓への考え方に
自分とは大きく違うものを感じています。
自邸では、ポリカーボネートの外壁という意表を突いた仕上げを行っていました。
それは、素材の持つ断熱性を強調して
採用したと同時に、曇りガラスの窓のような、
いわば家中が窓のような表装をしていたのです。
で、断熱材を白い色のものを採用して
その断熱材が入っているところは壁で、それが入っていないところは窓、
というなんとも面白いデザインポリシーで創り上げていた。
それが、その後の作品では(って、その辺からなかなか見学できなくなった)
どちらかというと、窓はきわめて控えめになって
「採光を最低限確保する」という目的性に集約していったように思います。
で、今回の家でも、
周辺は農村地域の畑が広がり山並みも遠望できる環境にありながら、
きわめて制約的にしか、まどを開けてはいない。
採光は主に天窓から取られていて、
それ以外の壁面の窓は、30cm四方くらいの「穴」と言った方が近い
そういう窓になっています。
しかし、そんななかに主室と、台所だけには120cm四方程度の窓がありました。
そとへの興味があんまり感じられない。というか、
内部環境の充実を図って、あんまり外部に興味が向かっていかないのかも知れないなぁと
そんな印象を抱く次第です。
このあたりが、わたしなどの世代とはやはり違う感覚なのかなぁと。
内部環境について、わたしどものデザインセンター講演会で
温熱環境のことも含めて、設計者は徹底してコントロールする意志を
持つべきだ、という趣旨の発言をされていた記憶もあります。
地球上で、自分の責任で切り取った空間の内部では、
その光や、見えるもの、感受するものについて
設計者はトータルに責任を取るべきだ、そんな発言ではなかったかと記憶しています。
まことに、清々しい感覚だと思っておりました。

なんですが、
私たちの年代では、やはりこのような窓が開いていると
ああ、この家の外はこういう環境にあって、
そのなかにこの家や、家族の暮らしは存在しているのだな、という
いわば、社会の中の「まゆ」を認識するような意味合いで
窓からの情報を受け取りたいと思うのですね。
この窓から得られる情報は、いまは冬ではあるけれど、
陽射しに力が感じられてきて、空も色彩が濃くなってきたようだ、
そんなふうに「花鳥風月」的に情報を得ているのですね。
そういう意味では、外観もそうだけれど
仮想的環境の創出に全精力を費やしている、
そんな印象を強く持った次第です。

きのうも書きましたが、
これはあくまでもわたしの印象であって、五十嵐さんに取材しての
文章ではありません。念のため。

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