さて写真は、きのう書いたおとうさんが愛着を持っていて
頑強に取り壊しに抵抗している「土蔵」です。
この周囲は道路の工事が行われて、地盤面が相当に掘削されています。
そのために、なのか、土留めの上に建てられているこの土蔵、
誰の目にも明らかなように、垂直が保たれていません。
右の写真は家の方角から見たもので右側に傾斜し、
左側の写真は道路側から見たものですが、
こちらでは、あきらかに左側に傾斜しています。
この様子では、大きめの地震が来れば一発で倒壊の危険があります。
建築業者さんは、危険でもあり、取り壊しを説得しているのですが、
おとうさんは、愛着を感じていて、抵抗しているそうです。
お話を聞くと、この土蔵に隣接して古家があるのですが、
その奥の半分以上が、道路工事の時に解体撤去されているのです。
土蔵の傾斜も、そのときの地盤面の変動が影響したのでしょうか。
ただし、それ以前からも傾斜していた、ということ。
傾斜角度に多少は影響したということなのかも知れませんね。
いずれにせよ、危険だと思うのですが、
おとうさんによると、この建物はおとうさんの父親が建てた建物だそうで、
今回、建て替えた主屋は、自分が建てたのだから自分がつぶしてもいいけれど、
どうも、自分の父親が建てたものをつぶすのは忍びない、
という心情なのだそうです。
このあたり、方言と共通語との翻訳機能の限界にさしかかる
言葉のやりとりだったので、
いまひとつ、明瞭ではない部分がありますけれど・・・。
まぁ、他人から見れば、あきらかに危険だし、
それに、どうしても保存しておくべきだ、と主張するようなものでもない気はします。
しかし、個人が、その心情において愛着を感じている部分というのは
これはやはり、尊重すべきだとも思えます。
まして、その内容が尊厳を持った肉親の思いにかかわるような場合、
他人から、どうこうは言えない部分はあります。
しかし、社会存在としては、道路にも隣接しているし、危険。
気長にお父さんを説得していくことになるのでしょうが、
そういう背景を別にすると、この土蔵、やはりユーモラスでもある。
建築的には、たぶん骨組みの構造の柱の何本かが破断していると
想定できますね。
それが、壁の土でなんとか維持されているというような状態。
なんとか踏ん張っている、という視覚的な主張が感じられて
擬人化したような存在感が伝わってきます。
やはり人間、住み暮らしてきた建築への思いというのは
ほかからはあれこれ言えないような部分、
言ってみれば、愛着の個人性のようなもの、
そういうものを呼び起こさせるようなものがあるのでしょうね。
変わってはいるけれど、伝わってくる思いは確かに強いものがありました。
Posted on 2月 27th, 2007 by replanmin
Filed under: 古民家シリーズ
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