本文へジャンプ

奇観ですね、函館山

函館、という街は
江戸時代までは蝦夷地であって、そう人口が多くはなかったのに
維新前にすでに「開港」していた。
日米和親条約によって、下田とともに箱館が開港したのは
なぜなんだろう、という疑問が子どもの頃からあった。
日本の歴史では単に「開港した」としか書かれていない。
「のために」開港した、という表記ではないのだ。
これはやはり日本側が主体的に「開港した」のではなく、
欧米の側で必要性が高かったから、というのが事実なのだろうと思う。
明治期になってきた外国の港湾技術官が
「ジブラルタルと似ている」と言ったそうですが、
やはり「天然の良港」というそのものだったのでしょう。
だから榎本武揚は、独立共和国の拠点として構想しただろうし、
海軍や侵略戦争の時代に、日本列島の中で、
戦略的にもきわめて重要な地理的位置を占めていたのでしょう。
その理由は目にも明白で、ごらんのような箱館山の存在ですね。
あの岩と土の塊が、港を守ってくれている。

最近、鉄道で北東北と札幌を行き来しているので、
否応なくこのような光景を見続けております。
本当に「奇観」という印象が強まってくる。
箱館はこういった歴史のなかで光芒を放ち、
その残影が色濃く残った歴史的市街として、北海道の中で
きわめて特異な存在としてあり続けてきた。
東北以南の日本の人たちと、
わたしのような北海道の人間から見る立場に違いがあって
その微妙な目線のズレを感じることが多い。
日本の側は、北の大地の玄関口という意識が強いだろうし、
逆に私たち北海道人には、望郷の念を強く意識させるなにものかを持っている。
考えてみたら、明治からこっちの時代にももうすでに
誰かが書き残すべき多くの要素があるものなのだなぁと
こんな風景を見ながら感じることが多い。

しかし、神さま、
よくもこんな面白い地形を造形したものですね。

Comments are closed.