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住む土地を選ぶということ_2

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歴史的に見て、現代のわたしたちのように
戸建て住宅の用地を「自由に」選択しているというのは、珍しいことに違いない
ということは、前に考えてみたとおりです。
そして、都市の位置の選択、という部分では現代の都市は
多くは、近代以前からの選択の結果を引きずってきている、というのも事実。
そういう前提に立って、考えを進めていきたい。
次の考察ポイントとして、
わたしたちの住宅地選択の大きな要素になっていること、を考えてみます。
歴史的には、生産労働との直結性が住宅敷地の当然の前提。
現代での、そのポイントを考えてみたとき、
しかし、移動手段の飛躍的な高度化、
アメリカ的な車通勤の実現や、大量輸送手段での「通勤」スタイルの確立、
といったことの結果、一定の時間地理範囲なら
「生産労働との直結性」が拡大してしまった、といえるでしょう。
やはり「移動の快適性」の、量的な、そして質的な拡大が、
この点をほとんど無意味なものに変えてしまった、といえるでしょうね。
この変革が一番大きい部分なのだと思います。
で、付随的に、移動の快適性というものが、あたらしい都市生活享楽として生まれたのではないか?
というのが、ポイント。
もちろん、その負の部分、交通渋滞であるとか、
通勤地獄といわれるすし詰め電車状態などの社会的問題も生み出した、とはいえますが。
でも、日常的に仕事場に通う、ということだけでも
大変なエネルギーコストを掛け、すごい社会システムを構築したと言えるのですね。
この移動の快適性の実現が、
都市のまったく新しい生活上の魅力を生み出しているのではないか、
そして、そのなかでも、もっとも「都市基盤」が重点的に整えられた首都圏が
飛び抜けて「快適な現代生活環境」を作り上げているのではないか、
そういうように思えるのですね。
よく言われるように、現代生活は時間が最大の価値、という側面が拡大しています。
その点で、たとえば世界最先端の文化や情報に、
その現場に、思い立てば、ほんの短時間で「移動可能」である、
ということの「快適性」について、もっといろいろに論証・研究すべきだと思います。
現代で、「人間が暮らす」ということの快適性の多くの部分と、
このポイントの相関関係が、もっと厳密に論議されるべきだ、ということ。
戸建て住宅を取材していて、その快適性向上の側面では、というか
ボックスとしての生活快適装置としての完成度は、むしろ
寒冷地である北海道の方が進んでいる。
しかし、総体としての「住み暮らす満足度」は、そういうボックス性能を
超える部分こそ、本当には高いのだ、と思い知らされるワケなのですよ。
ブログ表現での、無謀とも言える日々、考察の試み、
さて、どういうように展開していくか、自分でも、まったく先は見えません。
自分の考えをまとめていくプロセス公開みたいなものですね。
こうしてすこしずつ、書いていくのって、
面白いスタイルになるかも知れません。
でも、原稿を丹念に完成させるようには出来ないので
飛躍しすぎたり、するかも知れません。
まったく書き進められなくなったら、まぁ、ちょこちょこ、
食べ物やら、日ハムやらに回り道して、のんびりしていきます。どうぞよろしく。
写真は吹雪の中、移動車両からの夕景。完璧手振れでの芸術写真(笑)。

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