山形県庄内地方、酒田の北方に遊佐町があります。
ここには、江戸から明治の時期に「北海の漁業王」といわれた青山留吉が
残した本家の青山家住宅があります。
かれは、24才で、この地から北海道に渡り、
折から空前の豊漁に沸いていた
北海道西岸地域での漁業で大成功を収めたのです。
かれが、どうして「北海の漁業王」になれたのか、
素人としては、わかりませんし、この家の見学でも、
その辺りの消息は記載がありませんでした。
漁の方法が、大量化していく段階にあって、その時流の中で、
資本投下と、その運用、回収といった事業家としての部分での
先見性がすぐれていたのでしょうか?
ともあれ、かれは少なくとも3つの建築を残していっています。
ひとつは小樽市祝津にある、「青山家別邸」。
そして現在は、北海道開拓の村に移築保存されている青山家漁家。
さらに、ここ遊佐町にある「青山家本邸」というわけです。
にしんなどの、活況を呈した北海道漁業の最盛期を語る建築を残したのですね。
前記の2つとも、見て感銘を受けてきていたので、
残されていた最後の本邸を見る機会を探しておりまして、
たまたま、取材があったので、早朝から訪問してみたというわけです。
前の二つの、北海道に残された建築のイメージが強烈すぎるのでしょうか。
「別邸」は、かれの最愛の娘さんのために建築した、
という明確なポリシーがあって、まさに贅を尽くしたしつらいになっていました。
当時の最先端建築、日本橋の百貨店をその予算で上回っていた、
という絢爛豪華の世界です。
客間だったかの天井には、屋久杉の無垢板が張り渡されるほど。
一方、青山家漁家はまさに生業のありようを
まざまざと伝えてくれる迫力満点の建築。
ヤンシュウと呼ばれた出稼ぎ労働者のための空間など、
その機能性と、合理精神の高さに、打たれるようなものがありました。
それに対して、この本邸は建築としてみると、用途が住宅に限定されていて、
しかもライフスタイルというのが、明確に伝わってくるものではありませんでした。
退隠後の、落ち着きのある風格のある住まい、といった印象でしょうか。
事実、北海道での事業活動後の、引退してからの住まいなので、
そういう迫力には欠けるような建物なのだと思います。
古民家としてみる住宅は、ほとんどが生業のなりわいを色濃く投影していて、
生活感が匂い立ってくる部分があり、
どうも、わたしはそういう部分に強く惹かれているのだなぁ、と
腑に落ちたような印象を抱いた次第です。
Posted on 11月 28th, 2006 by replanmin
Filed under: 古民家シリーズ
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