写真は弘前城であります。
弘前は、明治以前の城郭建築がそのまま存続された稀有なお城。
司馬遼太郎によると、日本七名城に数えられている。
現在でも、弘前市街区を形成している中心であり、
市役所とかの施設もこの周辺に存在していて
津軽地方の中心地としての求心性を誇らしげに見せてくれる。
で、お城って、日本人にとってどういった存在であり続けてきたのか
そんなことを思いめぐらせることが、ときどきある。
江戸時代までの日本人にとって
城郭建築というのは、
基本的には軍事力を持ってその地域の民衆を支配していた
権力の象徴であったことは間違いがない。
そのはじめにおいてはそうだったことでしょう。
ただし、津軽の場合は、
戦国期において津軽為信が、南部氏からの独立を宣言して起こした
蜂起に、民衆の広範な支持があったと想定され、
基本的には下克上の権力争奪だったけれど、
その内部に、民族独立運動的な側面もあったに違いないと思われます。
そういう意味で、少しニュアンスが違っているかも知れません。
津軽の殿様の明治初年でのふるまい、
公共的な資産として提供を申し出たことなど、
民衆と権力者との間に、ある契約的な概念があった可能性がある。
ともあれ、そういう経緯でこの城郭は存続し、
市民に愛され続ける資産として、現にここに存在し続けている。
愛着という意味合いでは、弘前城には強いものを感じます。
建築的に見たら、
重厚な石垣による強固な基礎が力強い。
そして、鉄筋コンクリートと見まごう木骨+しっくいという
重厚な壁、そして、自由自在にデザインされた和小屋による屋根。
それらのバランスと、傾斜角度などで構成されている。
たぶん、デザインは屋根の秀麗さが基本になっている。
で、こういった要素が渾然一体になって、
長く日本人に根付いた建築様式美を体現し続けてきた。
きっと、日本人の基本的なDNAにブックマークされているに違いない。
っていうように思うのですが、
さてこのあたりは、だんだんわからなくなってきた。
現代でも、高校生の修学旅行ではこうした日本建築美は
刷り込むように教育の一環で行っているけれど、
若い年代のみなさんの中には、伝わっていくのかどうか?
よくわからないなぁとは思っております。
やぼったい、あったらもん、っていう心理があるのかも知れないなぁと
最近、思ってきております。
ただ、ここしばらくは団塊の年代が「毎日が日曜日」という
境遇になっていって、歴史がブームになりそうな雰囲気があるので
こういう様式美への感受性は維持されるだろうと思います。
Posted on 9月 11th, 2011 by replanmin
Filed under: 「都市の快適」研究
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