本文へジャンプ

歴史のなかの津軽海峡交通

きのう、ようやく東北から札幌に帰ってきました。
といっても、7日には仙台で要件があり、
明日にはふたたび出張することになりますが・・・。
まぁちょっと、忙しい状況になっています。

なんですが、きのうはフェリーでクルマと一緒に
青森から函館への移動を致しました。
台風の進路を気にしながらの旅程だったのですが、
最後の函館港に近づいた頃合いに若干の揺れと、波の音を感じた程度で
無事にたどりついた次第です。
で、ちょうど、東北と北海道にまたがる歴史と考古のシンポ帰り、
この海峡の移動手段、その難易度などを注意して観察していた次第。
写真は先日の「北方民族博物館」でのものですが、
古い時代の移動手段のメインは水上交通であります。
大阪や江戸の運河建設などを見ても、
歴史はまさに船での移動によって、物資の移送は計られていたのであって、
きわめて大切な部分だと思います。
しかし、そうであっても、
こうした交通の部分の歴史認識というのは、そう研究されてはいません。
蒸気機関の発展以降、いわば肉体的に持っていただろう、
船での移動という概念が人間から失われ続けてきていると思うのです。
人力や風力利用での移動手段である船の技術、
自然の力を利用することへの感受性は、鈍磨されつづけている。
昔は、超自然への祈りというのがいわば信仰にも似たものとして存在し、
船の運航の安全を祈って、
舳先に「人身御供」が張り付けられたりしていたそうです。
まぁ、そのようなことは別としても、
たとえば、津軽海峡を船で通行するには、
それも人力と、風の向きや強さを感受して運行するための経験技術
などというようなものは、現代、存在する基盤ごと失われている。
しかしそういう技術の常識的なレベルでの前提がないと、
歴史に対する想像力が、きわめて制約を受けるだろう、
ということも、思い至っております。

そんなことを考えながら見ていると
青森側の陸奥湾内は、おおむね大きな海流はなく、
津軽海峡とは言っても、
大きな海流の流れは一部分であるように感じられます。
一方で、北海道側でも、一部半島化した場所もあって
海流の穏やかな場所も存在する。
大体、そうした陸地伝いで安定した運行が可能な部分と、
気象を見計らって、一気に渡ってしまうべき部分とを認識仕分けする
このような航海技術が存在したに相違ないと思われます。
たぶん、体感的な、文章化できないような知恵が
津軽海峡の双方地域の交流を担っていたひとびとにはあっただろうと。

まぁ、忙しい現代、
そういった技術の研究など、だれも手がけないでしょうね。
そういうことをやっても、得られる知見の生かしようがない。
しかし、そういう失われたモノは決して無価値ではない。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.