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平等院鳳凰堂

先日の京都出張の時に
クルマで移動していたので、前から一度見ておきたかった
「平等院鳳凰堂」を見てきました。
なぜか。
東北を知る度に、平泉の藤原氏というものがどういった考え方だったのか
その相方として、貴族の藤原氏との政治的関係の濃さを
感じることが大きくなってきたからなのですね。
関係の深さは、その感性の部分にまで及んでいて
勃興してきた武家の方を向いていたと言うよりも
奥州藤原氏は、貴族の側との政治的交渉に与ってきていたという思いなのです。
百年の奥州藤原氏の繁栄とは、摂関藤原氏との外交関係の成功が大きかったに違いない。
そういう考え方になってきているのです。
奥州に残されている宗教的な施設などを見ると、
その感受性は、あきらかに摂関藤原氏との連関性を強く意識したものだとわかる。
その次の時代の、鎌倉の武家政権の感受性とはまったく異質。
で、摂関藤原氏の精神世界を端的に表現しているのが
この平等院鳳凰堂なのですね。
臨池式庭園による浄土の現世的実現。
それも、自分たちだけが救済されたいという、そういう自己認識。
京都から、やや離れていると言うことがあって、
一度も見に来たことがなかったのです。
この施設は、ひたすら摂関藤原氏だけのための施設なのですね。
そうであるのに、傾けられた予算は優に国家事業並み。
天皇でもなく、その政治的権威を利用し続けただけの存在なのに、
こうまで豪華な施設を作っていた、そういうことが許されていた、
そっちのほうに、驚くような思いを持ってしまいます。
どうもあんまり好きになれない典型のようですね。
っていう気分にずっと包まれていた次第であります。

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