福島原発。
連日のように危機が深まり、いまこの国の行く末が、
この1点に集中しているように感じられる。
大震災の被害の象徴として、
「日本がどうなっていくのか」の最大関心事。
現地で原発と向かい合い、戦っていたひとびとは、
地震発生後には800人いたが、
15日朝に4号機で火災があり、750人が退避。
監視などのために残った50人が、「フクシマ50」になった、とされる。
福島原発の状況は1日1日、刻々と状況が変化し、
その影響もいろいろに出てきているし、
この事故を受けて、今後のエネルギー政策がどう変化していくのか、
まったく不透明ではあると思う。
世界中が、注目してきているのも、
「では、大量エネルギー消費社会にとって原発なしの選択肢は、存在するのか」
という重い問題も含めて、人類の生存の根幹にかかわっていると、
本質的に理解しているからだと思われる。
だからこそ、世界中の人々が、この問題の象徴として、
現に今、その場所で驚異的な使命感と、職業的倫理、
そして任務に対する誠実を持って
「いま、できること」に努力している人々へ、
深い共感と連帯を示してきてくれているのだと思う。
15日時点の絶望的と思われた状況の中で、
しかしそこから、こつこつと、
その時点で可能なことに、わたしたちの社会の優れた部分は、
勇気を持って当たってきていると思う。
昨日の段階では、放水作業が一定の成果を見せてきているかもとされる。
使用済み燃料プールへの注水も見られたのだろうか。
東北電力の送電線からの電源確保作業も成果があったといわれる。
さらに6号機の電源も再起動を試みたら、立ち上がり
冷却作業が進み始めてきている、とされている。
うまくいけば、この危機に曙光が差してきたのだろうか?
一筋の希望が見えてきたように感じられる。
安定した社会の持続可能性を切り開く、最大の前提条件に対して、
このフクシマ50という象徴的命名に示された「世界の意志」に
わたしたち日本社会は、希望的未来を示せるのか。
このことで、わたしたちに今できることは、祈るくらいしかできない。
しかし、祈ることも、なにかの力にはなるかも知れない。
そう信じていたい。
Posted on 3月 20th, 2011 by replanmin
Filed under: 状況・政治への発言
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