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政策論議をどう起こすか

きのう書いたことにコメントをいただいた。
で、そのコメント要旨は、現状の国会の様子を揶揄するものでした。
わたしとしては、システム的な問題ではないかと思っていて
そのように書いたつもりだったのですが、
どうもそうは受け取られなかったようです。
なので、ちょっとその辺をもう少し書いてみようかと。

現状の国会の問題と受け取られましたが、
それは本意ではありません。現に優秀な議員さんたちは多いと思うのです。
現状の国会では予算委員会というのが最重要となっているけれど、
それよりも「国家戦略委員会」みたいなモノを作って
予算はそこでの論議に従属する、というような議会の仕組みにすべきだ。
まずなにを「政治的に行うべきか」をしっかり論議してこそ
予算配分と言うことを、はじめて判断できるのではないか。
現状では、すべての省庁のシステマチックな「要求」があって
総花的にまとめられた「予算案」を論議することになっている。
そうではなく、なにが現状のなかで核心的に重要なことなのか、
そういうことを国権の最高機関として「判断基準」を論議すべきではないのか?
この国をどういう方向に持っていくのか、という論議を国民にわかりやすいように見せる、理解できるように国会を改革すべきだ。

次いで、スキャンダルについては論議を禁止したほうがいいと思う。
そういうのは、司法にゆだねられたら、あとは司法にまかせるということでいい。
まぁ、その司法制度自体おかしいと思うけれど・・・。
クリントンがスキャンダルにまみれたけれど、
別に国政にはなんの問題もないと、職を続けることには民意が支持していた。
小沢一郎の問題にしても、あんなことはどうでもいいと思う。
それよりも力のある政治を求めるべきなのだ。
役に立たない清廉潔白なだけ、など、あんまり意味はない。
わたしたちは政治的な力量をこそ政治家に望んでいるのであって、
お金に綺麗だなどということはどうでもいい。
要は未来に対する先見力と、それを実現するパワーこそが政治の要諦だと思うのです。
あまりにも政治陰謀の道具としてスキャンダル合戦が多すぎて、
本来の政治の機能が果たせていないと思う。
貴重な国費をかけて論議するような事柄ではないと思う。

また3番目、今日の世界では経済運営が重要なのだから、
どのようにすれば経済運営がうまくいくか、
識者を国会に招致して、大いに議員が活発に質問し、
それをもとに国家経済運営を考えていくべきなのだ。
こういう論議には党議拘束などはずして、自由に論議しあえる論争の場にすべきだ。
たとえ、結論を得なくとも、そのように中身のある論戦があれば、
国民世論は常識に沿ってくるものと思う。
省CO2論議や、その方法論などは、
まさにこうした議論にピッタリだと思うのです。
世界の流れを見たら、ヨーロッパは建築駆体についての基準を強化する方向であり、
そのために、開口部の仕様などをきわめて高度に設定する方向。
それに対して日本は、論議を経ることなく、
官学共同体が、ヒートポンプや太陽光など、
一部部材の性能向上に力点を置くようになってきている。
こうした動きについて、国会がきちんと論議して欲しいのです。
マスコミも、こういう本格的な、産業構造も国民生活も深く関わる問題に
もっとコミットして欲しい。

っていうような意見を持っております。

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