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個人住宅と国策推進

きのう、省CO2の国策での推進と言うことを書いたのですが、
わたし自身は、疑問を抱いている方です。
ドイツで、どうして民間運動であった「パッシブハウス」に対して
政府がそれを顕彰し、盛り上げる方向に行ったのか
その動機・推移はわかりませんが、
でも、政府側としては民間の住宅に対して政策誘導していくときに
自分自身が先頭に立って、旗を振っていくということに
ナチス全体主義的ではないかというな自制心が
そこで働いたのではないかと、推測する次第です。
民主主義が確立された国で
ある一定の方向性に世論を持っていきたいと考え、
政治の側はどのようにふるまうべきかと、考えたとき
こういうことへの配慮は欠かせないだろうと思うのです。
政府(側)が自分自身で、本来、個人資産である住宅に政策関与するというわけですから
こういった感覚は不可欠なのではないかと思うのです。
直接政府が関与する場合、
第1に想起される事態は、腐敗です。
ごく一部の決定の結果、その透明性の担保が見えない。
特に日本の場合、政治の指導性が明確ではなく、
簡単にスキャンダルで、有力政治家を葬り去る土壌がある。
そうすると、実質的な支配構造・官学共同体が独走してしまう可能性が高い。
昔から銭形平次、検察特捜部とか、官僚機構への正義委任構造がある日本では
そうなってしまうのですね。

まぁしかし、そんなことを言っても
日本的現実は、大波のようにその方向に行ってしまうのかも知れません。
ただ、そのときに、
実際的に建築会社が、施主に対して
国策に沿った説得をさせられると言うことになる。
このことは、施主と建築者との信頼性をゆがめる危険性があるのではないか。
「国策で省CO2を引っ張っていく」
ということのなかに、こういう問題性があるのではないかと
どうも思えてきてしまう。
体制翼賛会的ではないのかと、ふと感じてしまうのです。
「幸せになる」ために投資することである、住宅建築の本質にとって、
どういう意味合いになっていくのか。どうも見えません。
<写真は沖縄那覇の住宅風景>

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