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【商家の知恵 in奈良街道筋/日本人のいい家⑯-1】




本日からは「日本人のいい家」シリーズ2021年始動。
わたしは商家住宅というのが大好きです。
家系伝承で江戸期を通じて瀬戸内海地域での商家という言い伝えがあり
「英賀屋」という屋号。そのDNA的「呼び声」が心に響くと、同時に
大前提として「コンパクト」志向と強い合理主義を感じ現代的だと強く感じる。

この住宅は川崎の「日本民家園」に移築されたもの。
建築年代は1600年代末から1700年代初頭。ざっと300〜350年前。
江戸時代中期、奈良の「柳生街道」に面して建てられていたとのこと。
「油屋与兵衛」という屋号だったことから古くは油商売だったようですが、
幕末期に至って入り婿さんを取った結果、線香屋さんに商売替えという変遷。
柳生街道というのは300年前頃に柳生心影流が全国的に活況を呈し
「柳生の剣」を求める武士が街道を通って柳生の里へと足を運んだと言われる。
またそれ以前には仏教伝来期からの独特の文化圏を形成していたとも。
街道沿いという往来のにぎわいを立地に選んだ商家。
現在復元された建物は本屋だけで、奥に中庭を囲むように風呂・便所、
さらに奥に日常生活空間として2間の座敷をもつ居住棟もあった。
それらはいわば「ケ」の空間で、再現されたのは「ハレ」の空間か。
本屋の間口は約4.5間。ほぼ真ん中に入口があって、そこから
「通り土間」から広い「ニワ」と呼ばれる土間空間が広がっている。
本屋は総面積28坪ほどですが、おおむね半分が土間。
手前側に板の間の「ミセ」空間が2室あって、奥に向かって2間がある。
ニワに面したダイドコロが仏間などもある中心空間。その奥には床の間座敷。

本日の写真は正面外観とミセの部分。
外観左手がショーウィンドウの役割の街道に面した縁側空間。
その奥に商取引を行う「ミセ」空間がしつらえられている。
入口の扉は天井に蹴上げられていて、明治期にはガラス入り扉もあり、
この商家300年以上、開放され続けていたようです。

油屋時代の様子をしのぶ情報は残されていないとのことで、
線香屋時代には、主要な取引先は地域の有力仏閣であり、
その行き帰りの往来客をこのミセ空間で待ち構えていた店舗。
おおむね3mのタテ格子ショーウィンドウで客に訴求すべく工夫を凝らしたのでしょう。
また、正面右手の「シモミセ」で製造現場の様子も見せていたようです。
このあたり、日本的商家の基本的訴求ポイントを見る思い。
現代にまで連なってくる世間とのコミュニケーションの基本が見える。
入口を入ってもずっと土間が続くので、来客は気兼ねなく入っていくことができる。
いわゆる「通り土間」という意味合いがよくわかります。

これら「オモテ」のコミュニケーションと同時に製造的部分が
広大な土間空間で展開されている。そちらはあした公開です。
日本的ビジネスが空間的に保存されている、興味を惹く典型例だと思います。

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