錦秋の盛りが札幌市内・山の方では過ぎてきて、
これからは市内の「里」でも本格的に落葉という風情になって来ています、札幌。
なんとも格別の歳月が感じられる本年ですが、カレンダーも残りわずか。
ことしは本当に「内省的」な年を過ごしていると思います。
接触コミュニケーションが限定される中で、否応なく身の回りのことに
多くの人が真正面から向き合っているというのが実際でしょう。
わたしもこれまで年間で50-60日は出張に出ていた平均的日常から
3月以降はほとんど限定的なスポット移動に留まり、
たぶん2−3ヶ月程度と思っていた社会停滞がここまで続くことになろうとは。・・・
逆に身近なあれこれにこれまで放り投げていた仕事が山のようにあることに
気付かされ、そのことに驚かされるような日々を過ごしております。
仕事人生の終盤近くで一気に気付きが襲ってきて
地道にそれらに取り組む機会を得たことには逆に感謝しております。
そんななかですが、住む札幌の四季感も深く感じられる。
こうした環境の中で多くの人が「家ですごす価値感」に目覚めてきている。
否応なく「緊急事態宣言」とか、ステイホームとかテレワークとか、
生きる拠点としての家での時間が大きな意味を持ち、考え直す機会になった。
家事、ということばは「かじ」と呼ぶのが一般的ですが、
そういうコトバにはちょっと現代生活との違和感を持ち続けてきていて、
ある企業と情報交流している中で、「イエゴト」という言い方と出会った。
「おうち時間」という言い方が、一般的にもReplanテーマ的にも、
表現の仕方としてはだいぶポピュラーになってきたと思いますが、さらに
家のことにあれこれと手をかける行為、その時間を充実させる行為に
この「イエゴト」という表現はなかなかいいかもと思っております。
写真のような札幌の街中、わが家周辺の様子ですが、
多くの落葉がわが家周辺でも押し寄せてきているし、
また時間経過とともに家周辺のメンテナンスは必要になってくる。
家での時間が増えてくるとそういったことへの気付き更新作業チャンスも増える。
昨日は落葉の処理と、壊れていたエアコン室外機の木製カバーを更新。
ついでに物置の整理整頓と、DIY的な家メンテを愉しんでいました。
よく欧米人に比較して日本人はこういった行為へのめんどくささ感が
社会的に大きいと言われるのですが、こうした「おうち時間」「イエゴト」って
今回の不幸な新型コロナ禍から社会が前に進んでいくなかで
数少ないメリット、前向きな面なのではないかと思っております。
結構愉しい、興味深いというように変化する可能性がある。
人間が手を加えていないと建築はすぐに機能劣化する。
空き家問題などはその社会的顕在化ということでしょう。
わたしはこれまでもこうしたことは比較的に好きな方だったのですが、
そういうことに、さらに愉しみ、再発見が増えてきております。
Posted on 10月 26th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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