昨日の続篇であります。お雇い外国人と対照的な日本軍人政治家篇。
写真は明治2年、箱館戦争を戦って降伏した榎本武揚(右)を伴って
かれの助命嘆願を明治新政府に求めるべく上京した黒田清隆(左)の様子。
黒田は、明治戊辰戦争の官軍側の主力司令官であり、
中心勢力・薩摩閥の軍事の現場最高指揮官であった。
北越から東北と連戦し、赫々たる戦果を上げてその「政治力」を高めてきていた。
軍事=政治権力である旧幕府を打倒する新政府最大の軍事中核。
榎本は旧幕府海軍艦艇を持って函館五稜郭に立てこもって、自立する姿勢を見せ
一部では外国から「政府」承認も受けていたとされている。
そのような敵将軍に対して、その政治的構想力や部下の掌握ぶり、
そして指揮官としての豊かな将才などを攻撃軍指揮官として正しく認識し、
「殺すには惜しい男たい」と感じたモノかどうか、
黒田は自らの髪を剃髪しみごとにつるっぱげにして
ごらんの通り、まったく私心はありません、国家のためにぜひ助命したいと
「赤心」の誠を表す行動に出たわけです。
きのうのお雇い外国人たちは、全員が口ひげ・あごひげ姿だった。
当時の西洋世界的なダンディズムとはひげの「権威」感に共振するもの。
飾り立て、自らが孤高であるように演出する底意を感じさせる。
この「世界標準」規範に対し、極東の有色人種国家には違うダンディズムがあった。
ごらんのようにこの日本人の戦勝指揮官はつるんと頭の肌を露わにしている。
榎本の方も罪人という捕縛の姿でもなく、別に悪びれている風でもない。
そして驚くべきことに降伏者であるのに、帯刀まで許されているではありませんか。
この状況の場合、主役は戦争勝利者たる黒田清隆であり、
かれの挙作にこそ政治的意味があるのであって、榎本は素であることが日本的。
淡々と自らの運命に従う、恭順姿勢が常識的な態度になる。
この局面で榎本が剃髪するのは、罰を甘んじて受ける者として筋が違う。
もしそうした行動に出れば「私命を惜しんでいる」と見られ潔さ表現にならない。
基本的に淡々と「身を任せる」姿勢が、求められる日本的ダンディズム。
食事の直後らしく、長い楊枝を咥えゆったりとした表情を見せているし、
一方の黒田清隆も「これだよこれ(笑)」みたいなイタズラっぽい表情。
まるで助命嘆願というような悲愴な形相はうかがい知れない。
写真の説明は事実関係だけなので、この撮影時点が嘆願前か後かは不明。
もし後であれば、無事に助命されたことで「やれやれ」の食事後かもしれない。
付言すればこの局面では日本政治は大度を示して榎本を許したが、
よく似た局面の平安初期・アテルイの反乱では京都王朝貴族政治は
坂上田村麻呂と同道したアテルイに死罪を与えている。
その後の東北の反乱史はこの「日本的でない」政治判断が尾を引いた・・・。
こうしたパフォーマンス表現で日本にはなかなか味な文化があると思う。
頭を丸めて、天下に赤心をあらわすという行為規範パターンは、
あんまり他民族にはないものかもしれない。
出家遁世思想とか、チョンマゲでの「もののふの魂」象徴文化など、
民族的感受性への独特の強い伝達力が伝わってくる。
また当時すでに居留していた外国人たちにこうした日本的政治文化行動が
どのように受け止められ、欧米社会に報じられたか、興味も募る。
欧米人のひげと日本武士のチョンマゲの文化差異、失われて知る部分ですね。
Posted on 9月 18th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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