明治になって本格的に開拓された北海道は文明開化と同時進行であり、
日本でもいちばん「洋造」住宅が必要とされる寒冷地だったけれど
住宅だけに限らず、和風より洋風が急速に一般化していっただろうと思う。
で、現代から振り返ってみるとファッションの面でも
非常にオモシロいスタイルが世界規模で蔓延していた様子がわかる。
写真は真ん中左で座っているのがアメリカ農務局長であったケプロンさんと
同時期に「お雇い外国人」として明治開拓の「教師」役を担った専門技術者たち。
北海道、とくに札幌はそもそもが札チョンという移住「独身男性」主体の
変わった人口構成からスタートした特異な人工都市。
明治以前の制度として積丹以北への女性定住が忌避された時期すらある。
そういう意味では江戸東京といちばん相似性があるかも知れない。
で、国家政策として人口増を果たすにはどうしたらいいかと考えて、
官が主導するカタチで「ススキノ」歓楽街が整備された経緯まで持つ。
という気質からか、伝統的風習・風俗という側面が非常に希薄な街だった。
そこに「洋風」そのものの外国人教師たちが颯爽と現地赴任してきた。
たっぷりと高給取りであり、人目の集中する存在であったに違いない。
まぁ立場もあるから、ススキノに連夜繰り出すということはなかっただろう(笑)。
ファッションとしては重厚なダブルの背広でみごとに統一されている。
そしてみんな口元、一部あご下にも立派な「ひげ」がワンパターン。
一種のファッションリーダーとして耳目を惹く存在であったように思われる。
それかあらぬか日本のこの時期の著名男性も同様のスタイルで写真に残る。
明治天皇も残った写真では、口ひげを召されている。
ひげというのは、どういう無意識的ファッション感覚なのか、
まぁ普通に考えると「権威主義的」なものへの傾きが強いのでしょう。
世界情勢も「帝国主義」の時代であり、父権的権威的な価値感が主流だった。
しかし、みんなが同じようにひげとダブルのスーツというのは、
現代感覚では、ある意味笑えるようなワンパターンぶり。
なんだけど、誰も笑っている人間はいない。ややおっかない顔(笑)。
日本社会は明治維新までは武家支配社会体制。
それまでのチョンマゲという独特なヘアスタイル、和服というファッションから
一気に変化していく時代にあって、欧米社会で一般的なひげとダブルの背広は、
比較的に受容しやすかったのではないかと妄想しています。
江戸期までで口ひげが特徴的な肖像を遺した歴史的人物はあまり記憶がない。
日本のチョンマゲは口ひげ以上に歴史的な時間経過があるのですが、
さすがに世界標準からかけ離れ過ぎているので放棄した。けれど、
結果としてはアタマのチョンマゲが、口のまわりのひげに変わった(?)。
チョンマゲと口ひげ、その底意の相似性に密かに注目しております。
逆にアメリカからのこの時代の日本来訪者は、自分たちの口ひげと
日本武士層のチョンマゲについて、どういう正直な印象を持っていたのか、
探究してみたいなと思っております。
「OH! こいつら、立派なひげがアタマに乗っかっているではないか!」
っていう妄想ですが、さて、どうなんだろうか?
Posted on 9月 17th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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