当社では毎朝、ミーティングがあります。
そこで毎日1分間スピーチとして誰かが「コメント発信」することを義務づけています。
自己表現力を鍛錬することはこういう「情報製造業」の場合、欠かせない部分。
で、全国各地から(一部隣国韓国も)集まっているスタッフ構成で
いろいろ「生活風習・習慣」についての違いにそこで気付くことがある。
たまたまこども時代の「七夕でのご近所めぐり」の話題を提起の函館出身スタッフ。
「唄を流しで歌い練り歩いてご近所家庭からお菓子を供出させる」という「風習」。
子どもたちの集団がかわいい徒党を組んで練り歩くのだという。
「◎●▲◇、●◎▲◇、」って、わたしの道南函館では歌うんですけど、
みなさんの地域ではいかがですか? という問いであります。
というか、意図的仕掛けでスタッフ間「差異」を探究確認するのが狙いの様子。
スタッフは北海道内はそれこそ全域、道南、道央、道東、札幌周辺バラバラ
という構成なのですが、ごく一部からしかそういう「歌」への反応がない。
みんな「え〜。そういうの、ないよなぁ〜」という顔、顔。
というか、七夕の風習として、そういう「押しかけ集団」自体記憶がないという。
本州、仙台出身者や、東京世田谷、長野県などでも
「聞いたことがないし、歌ったことはない」。
あ、韓国では七夕自体ちょっと違う習俗のようです(笑)。ま、これは置いときます。
かと思ったら、札幌出身者約1名から「え〜、だれもいないの?」と驚きの叫び(笑)。
・・・かく言う最年長のわたしは、3歳から札幌中心部での暮らしでしたが、
そのような子ども同士の「コミュニティ」集団体験は記憶にない。
子どもコミュニティでは「石合戦」というまことに危険で暴力的な「徒党」経験は
怖ろしげな記憶としてあるけれど、集団で歌い練り歩く平和的な光景記憶はない。
北海道は日本全体各地からの「移民」社会がその本性であり、
しかもその出身地域から「仏壇背負って」来たような人はそう多くはない。
比較的に「村落」においては出身地域が共有されているケースがあるけれど、
より広域になってくると、そういう文化共有は薄まらざるをえない。
道南地域は、それでも北海道内では歴史経過時間が長いので、
「日本の一地方」意識も高くなって、地域性という生活文化のマユが育ったのか。
とくに札幌などの都市部に入所した人間の場合、
たとえば自分たちは瀬戸内海地域から来ているけれど、そのお隣さんは
北陸から来ていたり、その隣は東北から来ていたりとバラバラなので、
それぞれの「生活風習」にDNA的な違いがある。
いわば現代の「核家族」が超先導的に日本に導入された地域であって、
日本各地で違いがある「生活風習」は地域に根付かなかった可能性が高い。
いつも拙ブログに貴重なご意見をいただくTさんから以下のようなご意見。
「地域ごとの日本の伝統・趣ですが、ブログの通り北海道は、
習俗的なものに対して、ドライですね。
ドライになってゆく理由はいろいろ想像できますが、まず、気候。
習俗をやろうとするとき、現実のミスマッチが著しいですからね。
七草がゆ、ひなまつり、彼岸などもそうですが・・・。
七草は雪の下ですし、ひなまつりの唄の桃の花・梅の花はどこ?。
春の彼岸は、お参りというよりは除雪作業。神社で使う榊も生えていない。
さらに、家族が核家族が多いですから、習俗が地域に帰結していかない。
しかし、とはいえ一方で新しい習俗が生まれやすいもの確か。
食べ物の場合、石狩鍋、甘納豆の赤飯だったり、ちゃんちゃん焼きetc。」
といったご指摘がありました。まことに言い得て妙であります。
北海道はやむなく伝統を破壊し、一方で合理的な「新伝統」を産みやすい。
全国から人が集まって過密で3密な都会になっているのが東京で、
同じ全国集合でソーシャルディスタンスが極端なのが北海道なのかも知れません。
住の新しい合理性、暮らしやすさへの積極性なども北海道の特徴かも。
北海道「伝統」の全国混合スタッフで新しい生活感受性、発信したいですね。
Posted on 7月 23rd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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