北海道はまだ歴史は浅いのですが、それでもいくつか、
地域を挙げてという継承性のあることがらはあると思っています。
北海道神宮の例大祭(通常6月14-16日時期)などはそれに当たる。
わたしが産まれた昭和中期には「札幌神社例大祭」だったのですが、
小中学校もお休みになって、各所で「出店」が出されて
地域一帯となった「お祭り」演出がされてきていた。
わが家は当時、「石山道路」〜市南部の「石切山」から切りだした
「札幌軟石」という建築材料を運搬する用途を名付けた道路名〜に面していて
このわが家の目の前を神輿渡御が行われて2階から見物できた。
人口集積、開拓の進展とともに賑やかさが共有文化を育んでいた。
いまは、札幌という街区自体が巨大化してしまって、
神輿渡御の行路自体、市中心部だけの規模になった現実があって
文化現象としては「希薄化」が避けられない現実にはなっている。
わたしのような意識を持ち続けている世代はまだしも、
朝の参詣を欠かさないような文化習慣を持っているけれど、
さて今後は、どのようにして未来継承していくべきなのか、悩ましい。
・・・と言う現実の中、新型コロナ禍が遅い、
ことしは、北海道神宮例大祭、規模が大幅に縮小されることになった。
情報が錯綜している様子ですが、
基本的には神輿渡御などは中止され、屋台出店などもなく、
本殿での神事のみという規模縮小での開催のようであります。
本日も参詣してきたのですが、例年であれば各神さま(4体)の神輿が
境内に出御されている日なのですが、そういうお姿はない。
わたしども衆生としては神さまのみこころのままに従う次第ですが、
コロナ禍出来以来、札幌にいる間は基本的に「コロナ退散」を祈願してきた。
「家内安全・商売繁盛・コロナ退散」を7回唱えてきています。
そういう身からすると、残念の気持ちもある。
北海道神宮とは、日本民族が奉った最新の神さま。
北海道開拓というのは、明治動乱期に日本民族を挙げた最新の祈願。
そのために降臨された神さまなので、保守一辺倒ではなく、
全国の神さまに先駆けて、コロナ退散の積極的行動を期待する気分がある。
もちろん民主主義で祭政は別のことであり、戦後は一宗教法人格ではあるでしょうが、
その成立の出自を見れば国家を越えた民族の祈願対象でもある。
日本歴史ではこういう祭政の絡み合いは結構重要な要素。
いまの官僚組織化した「神社庁」では冒険的革新行動は絶対ムリでしょうが、
日本の神社信仰成立からさかのぼる歴史的視点からは、
危機を突破するようないくつもの祈願が込められて来ていると思う。
まぁ妄想ではありますが、新型コロナ禍という未曾有の事態では
人心一新の必要性もあるだろうと思う次第です。
Posted on 6月 13th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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