写真は竹橋の東京国立近代美術館展示の「河瀬巴水・東海道風景集」から、
三保の松原と厳島神社の版画です。
どうもわたしは日本の近現代の美術には関心が薄い。
油絵やモダンアート然とした作品群にはどうも拒否反応する。
っていうことをきのうも書いたのですが、展示にはそういうのが多くて
やや困惑していたところに、この画集展示があった。
この作品群は「東海道53次」的な下敷きで昭和7年に出版された作品。
いったいなにが描かれているか、素人的にはすぐ了解しにくい
難解なモダンアート作品群のなかにわかりやすい構図・絵柄が展開。
受け止め側では非常にわかりやすく感情移入しやすかった。
・・・で、ふと日本人はなぜ「三保の松原とか厳島神社」に代表される
「名所」という感覚を共有し続けてきたのかに思いが至った。
いうまでもなくこれらは「観光地」となっていまも惹き付け続けている。
この河瀬巴水さんもモダニズムという洗礼を受けた日本人で
そのうえでこういう「キッチュな」名所を再検索している。
油絵とか写真、モダンアートとかの「表現」が選択可能であるなかで、
むしろ伝統的な版画表現を使ってなお、名所を美的に再探究している。
たぶん作家の内面での興味は「なぜ日本人はこういうのが数寄なのか」
だったのではないかと伝わってくる。
三保の松原というのはどう日本人の「デザインコード」を刺激するのか。
平清盛の時代、厳島を造形した日本人の美の感覚とは?
そういうニッポン的なDNA感覚を突き詰める意志を感じた。
どうも、難解なモダンアートの薄っぺらさに比べて
こっちの方がはるかに根底的な探究のように思えてならない・・・。
昨日は「高輪ゲートウェイ駅」工事にぶつかって
東京都内で山手線内に入るのに大汗を掻いておりました。
土曜日なのに久しぶりに「ギュー詰め」電車移動を再体験。
夕方、札幌帰還したらこっちは静かな雪。
「ことしも冬か・・・」であります。
Posted on 11月 17th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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