東京に来ると時間を見て山種美術館は必ず鑑賞する。
今回展示は「東山魁夷の青・奥田元宋の赤ー色で読み解く日本画ー」
いつのころからか、西洋絵画よりも日本画に強く惹かれるようになって
日本画の最大コレクション、山種美術館に吸引されている。
どうもこういった「伝統系」の方にどんどん惹かれていくのか、
建築でも伝統工法の技術伝承などにも親近感を持つようになる。
結局、日本という国は島国であり、海洋国家なのでしょう。
大陸国家というのはとにかく原理性に帰依してそれに非妥協的に固執する。
海洋国家はそういったものを柔軟に受け止めるけれど、
やがては咀嚼して独特に「国風化」させてしまう。
近現代で言えば、明治維新以降旺盛に西洋文明を受容してきて
世界がひとつの価値感に統合されてきたことの
ひとつのきっかけも作ったのだと思われる。
最近の歴史家のみなさんの話題展開を聞いていると、
西洋文明が汎世界性を持ったのには、日本の選択が大きかったと。
東アジアは西洋世界とはまた違った価値観である統合を見せていたけれど、
その因習の限界を真っ先に打破して西洋を受容した。
その結果、漢字やことばまで大きく改変して同化を進めた。
そのことで中国や朝鮮が西洋の作った「汎世界」に参加できる
地ならしもしたのだと思う。
しかし、日本は伝統的に旺盛に文化・文明を受容するけれど、
やがて「国風化」も揺り戻しで必ず起こってきた。
そんななかで日本画に惹かれてきている。
一部の「印象派」をのぞいた西洋絵画は言うに及ばず、
一部を除いた現代芸術などにはほぼ興味を持ちにくい。
その上、表現の不自由だなどと言うに及んでは単なるプロパガンダ。
そういう騒々しさは見たくない、もう勘弁して欲しい。
おっと、まったく論旨が外れてきた(笑)。
きのう鑑賞していて、この作品に驚かされた。
美術館のTwitterでは以下のような紹介。
「宮廻正明《水花火(螺)》(山種美術館)。画家自身によれば、
水衣という能装束に使われた絹を張り込み、
その上から細かい網目を描いた作品。水の表現には、
白群青(顔料)と藍色(染料)を幾重にも点で塗り重ねたそうですよ。」
とのことですが、
このテーマモチーフの漁業の一瞬を切り取る感性に
まったく圧倒されてしまった。
作家は東京藝術大学 大学院美術研究科 文化財保存学専攻教授とのこと。
これは「水花火」というタイトルをみれば「自然」描写でしょう。
目に見える対象に対して、それをどう受け止めるかは
人間それぞれでまったく違うということに強く気付かされる。
この作者はこの一瞬の刹那を切り取って絹のキャンパスに叩き付けた。
その叩き付け方がいかにも丹念な「日本」スタイル。
あくまでも細部、ディテールにこだわって細密に仕上げていく。
そういう結果としての仕上がりでは、
まず、その構図の斬新さに驚かされる。
四角いキャンパスに丸がくっきりと叩き付けられている。
背景画として人物と船の造形が夢幻的に描かれている。
「白群青(顔料)と藍色(染料)を幾重にも点」で描くことで、
画面全体に透明感ももたらせてくれている。
ときどき、こういうハッとさせられる絵と向き合うことがある。
ものすごくうれしくなる。
Posted on 11月 16th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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