先般の台風19号の猛威については、諸外国とくに中国でも
その情報が逐一SNSで活発にやり取りされ高い関心を持たれていたという。
旺盛な民間交流で日本に在住、または滞在している中国人も多い。
そういった意味では自然のことでしょう。
今回の台風についてはアメリカの情報機関も「地球史上最大」というような
情報を流してもいたので、関心が高かっただろうことはわかる。
しかもそれが首都直撃コースであることが明確になって来て
より一層切迫感を持っていたのだろうと思われます。
心配していただけることはありがたいことだと思います。感謝。
そういう情報から、しかし日本とほかの国、国民性の違いにも気付いた。
日本人であれば繰り返す災害に対してのある「心性」を持っている。
他国民というモノサシ情報から、そのことに気付かされた次第。
図は、関東大震災の被害状況を報せた絵巻風のイラスト表現。
<横長画面だったので上下に分割しました。富士山が左・西側>
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒ごろ発生した
いまも永く日本人に刷り込まれた民族記憶としての大災害。
このような災害との遭遇が、いったい日本人にどんな「特殊な」心性を
植え付けているだろうか、という分析が求められている。
そんな風に思われてならないのですね。
悲しいことだけれど日本人であれば、災害は必ずやってくると諦観している。
備えておく必要は常にあるけれど、しかし災害自体は不可抗的であると。
この自分自身の「諦観」に実はわたしたちは普段あまり気付いていない。
外国の目から見たら、こういう心性というものの根拠はわからないだろう。
日本人は、どうもこのことに気付いていない。
日本が他国と摩擦を生じる場合のひとつの要因として
むしろこういった日本人的心性が関与しているのではないかと思えてきた。
日本人は他人を思いやるというか、おもんばかるという心性が強い。
それは繰り返される災害から日本人が獲得した「無常心」の発露ともいえる。
諸行はつねに無常であるのでせめて人間同士はいたわりあう、みたいな。
自分がそうであるから他者もそうであると思い込んで止まない。
しかし、日本人同士であれば通じ合えるこうした部分だけれど、
対外的な国・国民相互ではメンタルには違いがあるのが国際常識。
こういった地理的・民族的体験からの「特殊心性」が由来での
対外的相互理解の欠如、相互フラストレーションもあるのかもと、
中国からの情報メッセージを見て考えさせられていた。
Posted on 10月 31st, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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