日本は水の国だと思う。
四方を海に囲まれ、とくに日本海を吹き渡る偏西風が
水蒸気を日本の国土に雨となって降らせる。
そのために国土は放っておいても基本的には緑が元気に繁茂する。
その水は水道でそのまま飲める水としてニッポン人に供給される。
「水に流す」という世界でも独特の精神を日本人にもたらしている。
しかし、そうであるがために水による災害と常に日本は隣り合わせだった。
ときには熱帯太平洋の巨大な雲塊が襲ってきたりもする。
今回の未曾有の台風による水害は、まさに想像を絶している。
きのう連休が明けてさまざまな台風被害の状況があきらかになってきた。
スタッフのひとりも床上浸水に遭遇していたし、
仕事関係の知人のみなさんの多くも被災したことが明らかになってきた。
これまでは日本のどこかでの局所的な被害という
自然災害への思い込みがあったけれど、
それこそ家族の住む直接的な関与地域だけではなく、
まさに広範な地域すべてが災害に遭遇している。
まことにその深甚さに驚くとともに、深くお見舞い申し上げます。
そういうなかでラグビーワールドカップ大会。
このスポーツをしっかり観戦するのはわたしは今回がはじめてだけれど、
どこか、相撲と球技が合体したような魅力に取り付かれています。
非常にはげしい格闘技スポーツでありながら、
つねに「ルールとマナー」について覚醒させられる競技だと。
日本戦よりも他国同士の戦いの方が「見やす」かったりする(笑)。
日本戦だとついわたし自身もエキサイトしすぎるのだ。
そういうエキサイトしやすい肉体同士のぶつかり合いがベースにありながら、
試合後は「ノーサイド」という「水に流す」風のカタルシスがある。
そのことで殺伐さが拭い去られて、お互いへのリスペクトが交感される。
先日の対スコットランド戦で戦場でエキサイトはしたけれど、
しかし敵ながらあっぱれな活躍をした選手に対して、マンオブザゲームとして
日本チーム主将のリーチ選手が「日本刀」をプレゼントしたそうだ。
また、水害被災した釜石でのカナダチームの清掃奉仕活動。
きわめて一体的な社会であるこの国では一般人に広く情報共有され
かれらカナダチームに対し、民は空間を超えて感謝を示していたとされる。
「国際」ということについて、最近
いろいろな動きが目まぐるしく騒がしいなかで、
この水の国ニッポンでのノーサイド精神のラグビーワールドカップが
わたしたち日本人のこころに染みわたる浄化作用を見せている。
Posted on 10月 16th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.