写真は先日食事していた民家そば店のインテリアです。
いかにも感のある和風のたたずまい。
北海道の新築住宅ではイマドキ、ほとんどこういった内装を見ない。
それは「洋風化」してしまったということなのか、
畳を敷いた部屋というのはあっても、こういうデコレーションの
生活文化自体が消滅したということなのか。
自分でもなんと表現していいか不明なほど、
ある意味、隔絶感が強く印象されておりました。
でも不思議です。
こういう空間で自分自身も育ってきた記憶はあるのに、
そのこととはるかに遠く離れてしまったという感覚。
久しぶりに出会って、いろいろ再発見させられる思い。
で、こういう空間を見ていると、天井の押し縁とか、壁の塗り壁、
そして長押、床の畳、家具の箪笥や窓の障子の空間要素が視界に広がる。
どうもすべてが直線的な区画意識が濃厚で、
四角四面なグリッドというのがニッポンか、としげしげと思わされる(笑)。
たぶんいまも残っているこういった生活空間には、
強い「生活慣習体験記憶」が残されていて、
その磁場に容易にくるまれるものなのでしょう。
いまにも母親がふすまを開けてこの場に現れるような空気感。
「なんだ、結局空間感覚のマザーはしっかり刷り込まれている」
こういった空間でいちばん生活装置的だと思えるのは長押。
畳の床から、天井までの高さの空間をほどよい位置で区切っている。
昔は「構造」の用を足すこともあったけれど、
ふつうは「化粧材」として壁面を上下に区切り、
小壁といわれる細い壁には額装などがしつらえられたり、
家電が家屋に導入されて、ちょうどエアコンの位置として
ちょうど良かったのではないかとも思われる。
たぶん、エアコン開発のときに、この位置に据え付けることを前提にして
寸法を決定したに違いないだろうと想像するに難くない。
額装では一般的に「先祖」の写真が掲額されることが多かったに違いない。
天井までの距離感がなんともバランスされていると思う。
箪笥という家具装置も、こういう内装空間で似合うように設計されてきた。
畳の寸法で大きさが企画され、長押までの距離感で高さも決定されただろう。
その上の空間はこれまた小壁と同様にデコレーション空間で、
こちらの場合にはオブジェなどが据え置かれることが常識化した。
こういう空間スパンに収まるように各地観光名所では
「お土産」の人形などの大きさが企画されたと想像できる。
ニッポンの和風文化の「ゆりかご」がこうしたインテリアであることに、
しばし久しぶりにたっぷりと、認識として満たされておりました。
なんとも規格的でキッチュ、オモシロニッポンですね。
Posted on 6月 4th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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