本文へジャンプ

【多忙な日常のいっとき、霊峰月山の神威を仰ぐ】

日本中をあちこちと訪ね回る仕事を重ねてきています。
幼少期に札幌の当時の最大幹線道路・石山道路という
建築資材の札幌軟石を「石山」から運搬してきたメイン道路に面した家に住んでいて、
その活発な状況、その後の「モータリゼーション」の予感、
そして、なんとなく「遠くへの憧れ」を抱いていたのでしょう。
南方向・石山からその先のニッポン方向を毎日見ては、
「この先にどんな場所があるのか」と
妄想をたくましくするのが、少年期の心的生活だったと思っています。
「北海道人」という雅号を使ったという幕末の探検家・松浦武四郎は、
幼年期、お伊勢参りの大旅客群を毎日見続ける日々だったとされますが、
こういった「移動・交通」ということに感受性を刺激される
人間類型というのが存在するのだと思う次第。

で、そういう心的傾向を持つ者として
「出羽三山」といわれる山々に魅せられた人々のことが
なんとなくいつも気に掛かっています。
きのう、久しぶりに仙台ー庄内地域を往復したのですが、
いまだに高速道路が月山地域で寸断されている。
刻々と日が沈んでいくのと、仙台までの距離の長さを気に掛けながら
どうしても、霊峰を仰ぎ見たい心境とで板挟みになりつつ、
トイレ休憩時に、はるかな遠景で「たぶんあれだろう」と
この時期の霞の掛かった美しい山体を仰ぎ見た。
そして高速道路が寸断された山道を走らせながら
「おお、これが月山だ」と見とれていた。
しかしハンドル操作を停めるまでの時間的ゆとりはなく、
こころに強くそのお姿を焼き付けながら、
残念無念とクルマを急がせておりました(泣)。
しかしそれでも日本海に沈む夕陽を受けながら、山頂には雪を抱き
神々しく光を照り返している姿・カタチには
まことに「神威」を感じざるを得ませんでした。

ニッポンは四季変化が明瞭で、しかも年間降雪量が多く、
四季を通しての景観の変化がまことにバラエティに富んでいる。
そういった自然環境に抱かれている人間の心性は
どのような「環境影響」を受けるモノであるのか、
たぶん日本人と他国民との、集団としてのメンタルの相違に
こうしたことは表れるのだろうと思っています。
日本人的なメンタルの最たるものとして「水に流す」という
たいへんおかしな心性があると思う。
新緑の美しさ、まぶしさ、淡い蒸発水分の空気感のなか、
あれは、こうした自然環境が育んだモノであるように
なんとなく感じ続けておりました。・・・

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.