本文へジャンプ

【継ぎ手・込み栓 伝統的木造工法の世界】


先日、久しぶりに伝統的工法の住宅を見学する機会。
宮城県の地元の「山元」企業で、広大に所有する管理林から
計画的に出荷して、住宅企業としても提供している。
そういうことなので、木の質感を最大限に活かす家を建てている。
「追掛け大栓継ぎ」で架材を接続させて、それを緊結させるのに
「込み栓」を使っている。
木は生きているので、季節によって水分含有量が変化する。
そのため、架材が膨張したり収縮したりする。
それを「調節」して家を長期に使い続ける工夫を日本人は古来から
ずっとしてきた。
そういう「手を掛ける」という生活文化はこうした構造材にまで及んでいたが、
身近なところでは、「畳の表替え」という習慣も行ってきた。
いずれも現代生活から考えれば、家への洞察とか
気遣いが絶対に必要なことなので、生活カレンダー習慣とは
どうしても異質なサイクルに人間が合わせなければならない。
「きょうは家の畳の表替えの日なので会社、休ませてください」
というような申し出が可能になるような暮らし方を
わたしたち社会は、許容幅として持ってはいないと思う。
「なにを言っているんだ」の一喝で無視されてしまうことでしょうね。
しかし、現代以前にはそういう休暇は社会で当然,担保されていたと思う。
仕事というものが、職方的な範疇でとらえられていて、
まずはそうした個人、というか、家のくらしがアプリオリに存在し、
それを尊重しながら、「お互い様」として許容し合ってきたのだろう。
「旦那。きょうは畳の表替えなので・・・」
「おお、そうか、ウチもそろそろやんなきゃなぁ・・・」みたいな。

で、そういう現代生活のなかでも
こういう「手の掛かりそうな」家に強い興味を持つユーザーがいる、
ということに一服の清涼感をもつ。
室内でも外観的にも、いかにも木質素材そのままがあらわれていて、
「現に呼吸している」感がハンパなく迫ってくる。
人間もこういう素材たちと基本的には同種類のイキモノである、
そういう協同する心理というものが無意識にはたらいてくる。
木が季節に応じていろいろな表情と反応を見せてくれるというのは、
考えてみれば、ずいぶんと心豊かなくらしをもたらせてくれる。
現代の先に、こういうエコロジカルな世界が見えてくることを願いたい。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.