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【住宅はモノを超える「創造的消費」領域か?】

先日、わたしの「魚知識」の源泉である友人の
Shigeru Narabeさんからまたちょっと不意を突かれたご意見。
「バブルの前、のちに高度成長期と言われる中で中高生時代を過ごした。
この時代に3Cと言われた耐久消費財が
カラーテレビ・カー・クーラーであった。
この時代はモノに幸せの種があった。青少年向けの
モノカタログのような雑誌も飛ぶように売れた。
振り返って今、若者の車離れに象徴されるように
必ずしもモノは幸せの種ではなくなってきている。この時代の
「生き方の依り代」としての注文戸建住宅のあり方は難しいが、
多様性は重要なキーワードなのだろう。」というご指摘。
たしかにご意見はその通りで、しごくまっとうなもの。
このご指摘を受けてのわたしの反応・着想としては、
住宅業界というこの「空間を扱う」創造領域、
モノだとは言い切れず「モノ・ことがら」と言った方が良い
人間性を収める空間領域は「消費」の趨勢を考えて見たとき
今後の日本の消費の最大領域になっていく可能性がある。
・・・というように刺激されたのです。
そういえば、先日講演を受けた「スマートエイジング」研究の
東北大学・村田裕之特任教授からも「住宅は最終消費ですから」という
お言葉をいただいたけれど、この最終消費過程がより存在価値を
大きくさせてきているのが、現状なのかも知れないと思った。

戸建て注文住宅という領域は
現代人にとっても、たしかに最終的で広範な価値実現領域。
「未開拓」とは言えず、過去の人類的経験知蓄積も多いけれど、
さりとて常に一期一会的にあらたな空間創造は行われている。
インスピレーション的には過去から「学び」はするけれど、
やはり現代という背景の中からその都度生み出されてくるもの。
「モノ・ことがら」と書いたけれど、クルマや便利な道具たちとは
あきらかに違って、モノ消費というようには言い切れない。
家はたしかに結果としては「モノ」にはなるけれど、
その「作っていく過程」にユーザーも参加できる意味では
「創造的消費」という側面の方が大きいのではないか。
このように住宅という事業領域を再定義してみると、
さまざまな発展の可能性が大きく広がっていくと思われる。
こう考えるとさらに、家づくり関連の事業者というのは、
また違った性格の存在として自己認識していくことが可能だろう。
・・・というような気付きを得られた次第です。

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