現代という時代は、インターネットなどの普及で世界中の人間の感じ方、考え方が
同時性、均一性がかつてなく高まってきている。
そのデバイス自体、iPhoneなどの携帯端末とパソコンなどの
ほぼ均質化した情報伝達になって、情報へのアクセス方法までが
広く均質化してきていると思います。
いまのところ、言語の区別は明確に存在しているのですが、
たとえばパソコンのデスクトップ画面などを参照してみると、
言語だけが違うけれど、それ以外の認識領域ではほぼ同一の「言語的統一性」で
貫徹されていると感じられます。
ワンソースマルチユースという仕様様式になっているので、
直感的には扱うことが可能になっているし、類推は効く。
言語についても、Googleが提供している翻訳機能を使えば、
ある程度のコミュニケーションは現状でも可能になってきた。
人間活動の各分野でこうした「共通化」志向性はかつてなく高まってきた。
こういった時代に、住環境というものは
どういったベクトルで進化していくようになるか、
住宅雑誌を作り続けてきて、そんなことが大きな関心領域になってきます。
こういう時代になっての「地域偏差」というものが、
今後どのように進展していくのかが気になってくる。
街並みということでいけば、このことは明瞭で、
放っていれば日本全国ほぼ同じような街、同じような店舗が展開している。
都市計画視点でみれば、大型商業施設こそが共通化のキーワードで
既存の交通体系に依存した「中心街」がシャッター街化して、
ひとの生活ぶりをまったく変えてしまっている。
では、個別住宅のデザインではどうなるのか?
やはり、この面でも生活合理主義というか、
「誰が考えてもこうなるよね」という共通化が進展していると感じられます。
その上で家族制度もまた、ほぼ共通化が進展している。
むしろ、気候対応での合理主義の方がデザインにとってもはるかに重要かも。
「その地域に似合う」ということが、文化伝統的なものではなく、
もっと根源的に合理的な、「この地域だからこうだよね」という方向が強くなっている。
北海道では日本の他の地域とはまったく違うレベルで省エネ基準適合の住宅数が多い。
高断熱高気密が地域全体の基本ベースになっている。
住宅技術での最新のものをいち早く摂取して、地域の気候条件に最適な住宅デザインを
ユーザーに提供する、やはり基本はそこだろうと思います。
しかし情報の世界の共通化が、今後どのように
影響を強めて行くか、さらに注意深く見ていく必要があると思います。
Posted on 8月 6th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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