みなさん、あけましておめでとうございます。
本年も当ブログ、ご愛読いただけますように、お願い申し上げます。
年末最後のアップもそうとは考えずにふつうの取材記事を書いた。
書き終わって半日経って「そういえば大みそかだった」とようやく気付いた。
ということで、年末旅行も終わってきのう夜に自宅に帰着。
札幌の自宅は雪の具合がどうかと不安でしたが、
それほどは降ってなくて数センチ程度でしたので除雪は軽く終了。
けさは早起きしてカミさんと早々に北海道神宮に初詣へ。
おみくじは「末吉」という、これもごく普通でありがたい限り。
なにごとも普通で常識的というのが、いちばん平常心でいられます。
さて、年末旅行、ことしは夫婦だけの旅になったので、
行き先も高齢者に似合った寺社建築を数多く訪問させていただきました。
写真のお札の神さまなど。ほかに伊勢神宮内宮、淡路・伊弉諾〜いざなぎ〜神社も。
伊勢神宮内宮は日本の神様の元締めの「天照大神」なので、
そのお札は常置しているし、伊弉諾神社は一昨年も行ってお札購入済み。
神さまお札コレクションはわたしの個人的趣味なのですが、
今回は、この4枚のお札をあらたにゲットしてきた次第。
写真左の建部大社は、近江国一の宮とされる。ヤマトタケルが主祭神。
その右は、伊勢神宮外宮のお札です。
天照大神の食事を司る神さま、今から約千五百年前、天照大御神のお食事を司る
御饌都神として丹波国から現在の地にお迎えされたとされている。
一番右側は、奈良県「三輪山」を神体とする「大神〜おおみわ〜神社」。大和国一宮。
で、最後は真ん中右の「飛鳥坐〜あすかいます〜神社」。
場所は奈良県の明日香村であり、飛鳥寺の奥に鎮座している。
飛鳥の地元の方にその存在を聞いたので、はじめて訪ねてみたのですが、
神主さんがたいへん気さくな方で、お話しが面白く引き込まれていました。
その神主さん、お名前が「飛鳥」という珍しい姓だということです。
飛鳥寺というのは日本で初めての仏教寺院であり、
まだ日本には仏教寺院建築のデザイン・技術がなかったので、
朝鮮半島からの工人を含めた完全な輸入建築だったのです。
一方で、そのすぐ奥の小高い丘陵にこの飛鳥坐神社は鎮座している。
後の世の宏壮な宗教施設とは比べようもないこぢんまりとした寺社建築たち。
たぶん、この一帯は繰り返し建設された王権建築群集中地域であり、
草深いアジア辺境地域であったこの国に、発展を司る権力維持の戦略思想として
宗教を広め、管理していこうという「権力意志」の基礎になったのでしょう。
そういった実験施設的な印象を持った次第です。
飛鳥寺と飛鳥坐神社、面白い。
あしたはこのふたつの原初的宗教建築施設を写真で解剖したいと思います。
Posted on 1月 1st, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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