わたしも一応、出版関係の仕事をしている人間なので、
文章というもの、日本語というものにはそれなりの配慮をしています。
なによりもわかりやすく、文意が「伝わる」ことを心がけたいと思っている。
必ずしもいつもうまくいっているとは言えないけれど、
間違いがないように言葉はなるべく明晰にと考えている人間です。
またおよそ日本語ならばその内容を読み下せないということは、おおむねない。
きのうわたしは、所用で札幌駅周辺を訪れていた。
で、所用を済ませて駅北口側の交差点に立ち至った。
運悪く、寸前で信号が赤に変わったので、信号待ちした。
そのときこの写真のように「手押し信号ボタン」が目に入った。
繁華な札幌駅構内から出てすぐですが、交差点としてはL字型変形交差点。
クルマの通りもたくさんあるワケではない。
「ああ、ここでは手押し信号を押すのだろうか」と思われた。
で、その横に書かれている言葉、数秒読んでみたけれど、
どうすればよいのか、通りすがりの身には直感的に理解できなかった。
これは韓国語でもないし、スワヒリ語でもないし、サンスクリット語でもない。
「午前6時から午前0時以外は、
ボタンにふれてください」
このように書かれていて信号待ち数秒間で、いったいどう行動すべきか、
わたしとしては明瞭な理解に至ることができなかったのです。
疑問に感じられることはたくさんあったけれどポイントは2点。
1 「午前6時から午前0時」という書き方で時間限定はすぐわかるか?
2 続けて「以外は」と書いているが、この書き方は混乱をまねくのでは。
まず、1の表記の異常さについて。「午前6時から午前0時」という書き方で
すぐに時間スパンを想像できる人間はどれくらいいるだろうか?
歩行中の人間に指示を的確に与える公共的使命をもったメッセージで、
わたしにはその時間を瞬間的に明瞭には思い浮かべられなかった。
「・・・、そうか朝6時から真夜中24時ということか」という理解までは数秒必要。
で、続けて「以外は」という、意外な(笑)表記が記載されている。
ようやく思い浮かんだ「朝6時から真夜中24時」をここで除外されるのだ。
それ以外って、要するに「真夜中0時から6時まで」の6時間を指している。
というように理解するまでに、たぶん一般的には1分近くアタマを使わされる。
だったら、こういう「以外」という否定形の表記ではなく、
「0時から6時までは、ボタンを押してください」という書き方が
大多数の人間にとって直感的で間違いを起こさない表記アナウンスではないか。
行動心理的に、否定形表記は誤解を与えるのが常識だと思う。
「以外」というコトバは、受け手が概念を整理整頓する必要があるので、
複雑な概念限定の場合は別にして、このような行動指示用語としては避けるべきだ。
さらにいえば、写真を撮影して気付いたのですが、
2行目「にふれ」という箇所にはシール貼り補修痕跡が認められた。
で、それ以前の表記がどうであったかも気になった。
たぶん「を押し」だっただろうと思われるのですが、この信号機管理部署で
どのような表記をめぐる経緯があったか、想像をたくましくさせられました(笑)。
わたしもこの一連のことが逆に面白くなってしまって写真を撮ったワケですが(笑)、
ことは多数の人間、それも札幌に初めて来るようなひとも多く通る場所なので、
その第一印象にもかかわる。道民・札幌市民のひとりとして、
基本的「おもてなし」ホスピタリティについて、考えさせられた次第であります。
Posted on 9月 7th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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