以前に東大寺の大仏殿は拝観して参りましたが、
鎌倉には行ったことがありませんでした。
まぁ、なんとも、いかにも、
という観光地なので、ちょっとはずかしくて(笑)
見に行けない典型のような存在ではないかと思っています。
東大寺の大仏にも、坊主が単純に「大仏見たい」といってくれたので
修学旅行以来の拝観をさせていただいた次第。
でもこの鎌倉の大仏さんは
どうも国家事業的に建立された感じはなく、
どっちかというと、民間主導型の大工事だった様子が伝わっている。
この大仏を収めている寺自体、由緒正しい寺ではなく(失礼)
真言宗からはじまって、禅宗臨済宗になったり、有為転変している。
そう考えると、民衆的な造像の経緯が偲ばれてくる気がします。
大仏造像の費用と、その金銅を入手するために
宋との貿易船が計画されたというような記述もあって、
民衆的な動きに対して、それを支援するような動きがあったようです。
っていうような経緯が、庶民的な敬称として
「大仏さん(ニコっ)」っていうような愛着を生んでいるものでしょうか?
約500年以上もこうやって野ざらしで座り続けているわけですが、
覆い堂はあったけれど台風や津波などで被害を受けて
その後、再興されることがなかったということ。
幾多の戦乱やらもくぐり抜けてきた建造物ですね。
座っていてこの状態では4頭身くらいしかない。
頭がでっかく、首のあたりには補修された部分もあります。
それにしても、民間の盛り上がりで、
こういう仏像を鎌倉に建設しようというような動きって、
一体どういう経緯だったのでしょうか。
同時代には日蓮の鎌倉での布教活動などもあったので、
仏教が民衆的なレベルまで行き渡って、ということなのでしょうか。
そういう動きを受け、勧進者がお金を集めることに成功したということか。
宗教というものと、日本人の関係性について
いろいろな思いを感じさせてくれると思います。
北のくらしデザインセンター
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Posted on 4月 2nd, 2010 by replanmin
Filed under: 出張&旅先にて
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