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【北海道人のニッポン=「内地」意識】

いまでも北海道でふつうに使われる地域認識に「内地」というものがある。
言うまでもなく、北海道や沖縄で本州方面に対しての地域呼称。
歴史的に日本国家に統合されてきた時間の違いによる経緯から、
こういった言い方が存在し、その残滓がいまも残っている。
Wikipediaでは以下のように結論されている。
〜北海道や沖縄は、近世より次第に本州勢力の直接統治下におかれ、
近代になって、完全な形で日本国家の支配下に入った地域である点では、
法的な「外地」と共通する面を持つ。住民意識としてもそれが反映されており、
北海道や沖縄の住民が「内地」という用語を用いるのは、
法的な位置づけの面では事実と反しているが、
歴史的経緯としてはそれなりの理由がある。〜
別にわたしは日本からの独立や離脱を志向する立場ではありません(笑)。
国際環境の中で自由主義の旗手としてこの国の存在は重要だと思います。
そして誇るべき文化社会だとも当然、思っています。
しかし、こと住宅文化についてはかなり違いを意識せざるを得ない。
構法としては在来木造構法という柱・梁による架構を日本社会から
その基本的な技術・建築工法として受け継ぎながら、
しかし、そのままでは寒冷を克服する高断熱高気密工法は確立できず、
多くの知見を世界の寒冷地域の住宅技術と協働開発してきた。
結果としての住宅性能品質は、地域総体として進化し、
冬期の住宅内環境に於いて総体的に、「内地」とは隔絶している。
いま現在、北海道ではもっとも多く省エネ基準レベル住宅が建っている。
伝統的建築が多いヨーロッパと比較してもきっと多いと思われる。
Q値1.6という、設定当時としては先端的と言えた住宅性能レベルを
備えた家を、ごくふつうに一般的工務店が建て続けている。
そういう住宅が「特殊」である「内地」とは、意識に於いて違いがある。
そういった意味では日本の伝統を大幅に革新して
世界標準により近い住宅工法に進化してきたし、
そのような必要認識を地域の人間は、常に実感し共有し続けてきた。

そんな認識からか、「内地」への思いはふるさとを思う気持ちに近い。
気候風土的に北海道はドライで乾燥していて、
あの蒸暑の夏を持つニッポン独特な「濃い」情念文化に違いも感じつつ、
けれど強く惹かれる思いも持っている。
やはりなかばは「外国」というように思えているのかも知れない。
自分たちの文化性としてのまゆ、ルーツであるけれど、
そこから離脱せざるを得なかった生活・住宅文化の時間積層感覚がある。
北海道島に移住してきた世代から、わたしのように第3世代くらいまで
時間の積層は進んできて、たぶん世代間でも
ニッポンを「内地」と呼ぶその気分には質的な違いはあるのだろうけれど、
そのような異質感の心理は共有していると思う。
この国の一地方ではあるけれど、こういった心理を持ちながら、
北海道の人間はいるように思っています。みなさんいかがでしょうか?

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