きのうはある会議で、北海道外出身者3人との話し合いになりました。
あ、ひとりはアジアの外国のひと。
他のふたりは、どちらも関東圏のひとであります。
話は主に、北海道での冬の「楽しみ」ということだったのですが、
話しているウチに、大きな相違点が浮き彫りになってきて面白い。
「冬になって、毎日雪かきするなんて、よくやっているなぁ」
というような実感を持っているというのです。
・・・が、どうにも違和感を禁じ得ない。
北海道人は、確かに口を開けば「また雪かよ、参ったなぁ」と愚痴ったり、
除雪について、その大変さをなんとか軽減したいとも理性的には
十分に思っている。けれどじゃぁ、無性に忌避しているかというと、
その辺の感覚はどうもまったく違う気がする。
とくに北海道の雪は、含有湿度レベルが低くて「軽い」こともあって、
北海道ネイティブ人間にとっては、幼少期以来、
しょうがなくながらかもしれないけれど、雪かきはきらいでもないところがある。
幼児の時から雪が降ってくれば単純に、おおオモチャができた、
っていうような部分も心理の根っこにはあるのです。
北海道人にとって、雪を扱ってそれを片付ける行為は、
神が与えた「罰」というようには、あまり考えなくなるものなのだと。
北海道以外の人にとっては、ある種、罰に近い思いが根にあると感じる。
写真のような「素材のよさ」は格別で(笑)
ほかはとってもいいところだけれど「雪かきって、あれなによ」みたいな。
雪かきについては、それこそ人によって感じ方は違うだろうけれど、
それが害悪であり、罰そのものというような受け止め方は北海道人はしない。
「いなす」という言葉がその時、浮かんできたけれど、
柔道などでの「受け身」という感じとも似た、そういう感覚が近いように思う。
単純な雪かき行為そのものは、見方によっては雪遊びの要素もある。
ちゃんとした「堆雪場所」が確保されていて、
そこへのアクセスがそう苦でもないとすると、行為それ自体は楽しい。
降り積もった雪が、自分がそれに能動的に関わることでかたちを変える、
そういった結果が明瞭に出てくるので、面白さの要素も大きいのだ。
片付けた雪かきの結果の光景を、
まるで一個の創作作品的に楽しんでいるという心理側面もある。
もちろん、そういう雪かきがなるべく少なければいいという思いはある。
けれど、無性にきらいというわけでも、もちろんない。
この中間的な心理状態がニュートラルな北海道人の態度であって、
その間を「ゆれ動いている」ということなのではないか。
しかし、そういう気付きを得られるのも、比較対照としての
他の地域ネイティブの人との対話であることも事実。
コミュニケーションは面白いなぁと、独りごちておりました。
ということで写真は、北海道っぽい素の美食、大好き・ちらし寿司でした。
なまら、うまかったんだわ(笑)。
Posted on 12月 6th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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