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【幕末明治の日本人社会群像】

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きのうにひきつづき、「坂の上の雲」読中(?)感想です。
士農工商体制に基づく徳川幕府体制を倒したエネルギー主体は
結局、各藩の士族階級が主体だったことで、
作られた明治国家は、その層が主導した「上からの社会改造」政権だった。
「世に出た」人物の成り上がり過程もそれが基礎になっている。
その構成実体、人物像を作者・司馬遼太郎さんは、丹念に描くけれど、
その描写の断片断片に、驚く瞬間がある、その2つについて。
ひとつは、明治初年当時、いわゆる明治の元勲とか政府要人などの
「著名人」人物の写真が今日の芸能人並の「ブロマイド」ネタであったという。
わたしも古建築などを探訪するときに床の間に飾られた書が、
明治の元勲が書いたものだ、みたいなのに出会うことがある。
今日の政治家を基準に考える思考と、この時代の隔絶感を抱かされる。
そしてもうひとつ、明治国家の予算で軍事支出が5割を超えることも
常態的であったという事実。
これは不勉強で、司馬さんの指摘に不意を突かれ呆然とさせられた。
こういったふたつの事実を重ね合わせてこの時代を見る必要があるのだと。

明治になって、荒れ狂っていた帝国主義の国際社会に
ようやく漕ぎ出し始めたとき、少年国家・日本の社会のありようが、
まざまざと見えてくるように思われた。
前半に主に出てくる俳句の革新者・正岡子規という文学者も、
旧藩の武士階級から出て、その社会体制の大きな庇護の中から
はじめは「末は博士か、大臣か」という目的テーマのハッキリした
非常に強い「上昇志向」、なんとか欧米という坂の上の雲に向かってという
目標意識が無条件に設定された中で、そこから文化という
脇道にスライドしていくけれど、後の日露海戦での
連合艦隊の作戦参謀を務めた秋山真之との交友など、
〜羸弱(るいじゃく)な基盤しか持たない近代国家としての日本を支えるために、
青年たちが自己と国家を同一視し、自ら国家の一分野を担う気概を持って
各々の学問や専門的事象に取り組む明治期特有の人間像<Wikipedia>〜
として描かれている。
今日の社会とはまったくちがう、主には他変的要素、
帝国主義各国による中国への露骨な利権獲得競争という
東アジアを席巻した状況の進展のなかにこうした人物群像の生き方もある。
やはり幕末から明治とは、ロシアとの基本的な対峙関係を抜きにしては
この時代は考えようがないことが深く実感される。
この時代の予算はほとんどが海軍建設に使われ、
それも対ロシア海軍を仮想敵として国富を傾けて行かざるを得なかった。
しかし、高々100年の以前にはこういう環境条件のなかを
わたしたちの父祖は生きてきたということ。
ひるがえって思いが深まってくる次第なのであります。

<写真は20年前くらいの北欧視察時の住宅例>

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