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【いまは画家になった高校同期友人の軌跡】

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高校同期の友人たちとの交友っていうのは、
たぶん人生でも最もセンシティブな時期の出会いでもあり、
良くも悪くも、大きく人間関係を規定すると思っています。
ただ、最近の子どもたちなどを見ているとそうでもないかも。
わたしたち年代(1950年代生まれ)的には、人生60年くらいという
そういった漠然とした人生設計期間を想定していたけれど、
いまは、人生80年くらいが相当している感じがあって、
社会人になってからも、まだ人生探しを続けているような、
モラトリアム期間が伸びているような印象があります。
わたしたち年代は、高校生活はその後の人生のための最終決断時期とでも
認識していた部分があったように思います。

わたしたちの年代ではちょうど70年安保の時期で
わたしの学んでいた高校でも、そういった時代の影響が強かった。
いまでこそ、やや右っぽいと言われているわたし自身も(笑)
高校当時は、そんなデモに行ったり活動を行ったりしていた。
そのころに友人たちの中でいちばん先端的に活動していた友人の一人。
かれはアジテーターとして、いちばん目立って活動をしていて、
友人たちの中でももっとも過激リーダー的な立場だった。
しかし運動が最高潮になる時期、10月に佐藤栄作首相が訪米して
沖縄返還交渉をまとめ上げる、運動にとって大きな結節点の直前、
8月の夏休み時期に、当時バリケード封鎖していた札幌医大の
活動拠点から、かれは忽然と消え去っていった。
多感な感受性を持ったヤツで、その「あばよ」文が、ある教室の壁一面に
ヘタな活動家文字で、殴り書きされていた。
タイトルは「現代の散華」だったと記憶している。
ケータイもない時代なので、写メも撮りようもなく、
そこで書かれていた青春期の心情の殴り書きの内容は、記憶も無く
また再現のしようも無いけれど、学生運動からの離脱の生々しい感性が
綴られていたことが、わたしにとっても鮮明な青春期の一ページになっている。
そんな風変わりな人間だったので、その後も孤独な生き方を選択して
友人たちとの交友もほとんど没交渉だった。
まぁ、かれの仕事生活の開始時期には、その業種選びで
わたしが当時勤務していた広告会社の職場を訪ねてきて、
「おまえ、面白そうな仕事しているな」ということから、
わたしとは若干の仕事上の交友が生じた時期はあった。
その後、出版関係で仕事して、写真雑誌「写楽」の創刊に関わったりしていた。
有能なヤツなので若くして独立したりしたようだけれど、
結局、その後仕事を辞め10年間にわたって、世界中を歩きまわる暮らしになり、
路上アーティストのような暮らし方を選択していたようだ。

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共通の高校の友人がそんなかれの最近の「画家」としての活動の様子を
写真PDFで送ってきてくれた。
いまや聖書に書かれたイメージを表現する画家になっている。
友人としてその生き様がなんともいえず、伝わってくるモノがある。
名は浅香良太。いま、千葉県内陸部に住んでいるようです。
別に宣伝ではありませんが(笑)、
こういう生き方もあるのだと、ときどき気になっている次第です。

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