写真は、宮城県岩沼市の防災集団移転の「まち」に
周囲を囲むように植え込まれた「防風の木並」。屋敷林の機能を持っています。
災害から命を守るために、地域丸ごとが「引っ越しをする」という、
集団移転ということは、これまで日本人はそう多く経験知を持っていない。
東日本大震災・大津波というやむを得ざる事由から、この平成の時代に
さまざまな歴史経緯や、文化的成り立ちを持った「地域」が移転した。
その移転に当たっては、現在の法体系、行政組織、考え方が実践された。
その結果が、徐々に姿を現しつつあるところなのです。
取材していて大きく感じたことは2つ。
1つは、「地域の文化を継承する」というお題目は掲げられているけれど、
「地域のお祭りなどの基軸になっていた神社などの
信仰対象は、どうなったのですか?」という質問に対しては、
予想通り、宗教との政教分離原則が貫徹されて、
きれいさっぱりと、津波被害地域にそのまま取り残されたままだと言うこと。
地縁社会の中で、各地域の神社仏閣というものは、
言うまでもなく歴世にわたって、維持存続してきたものだと思います。
大きな政治変動があった場合にも、各神社仏閣は、
新体制下での存続を常に努力してきた存在だった。
日本史では、このことはさまざまに継承されてきた基本だとも言えます。
そうした「文化要素」が地域の中で息づいて、
祭りという形で、その地域らしさの大きな部分を占めてきた。
そういったものが、平成の地域集団移転では移転されなかった。
で、一方で地域文化の継承存続は、謳われている。
地域文化の基軸になっていたものはオミットしていながら、
一方では継承しろという、パラドックスが生まれ出ている。
この国の民主主義統治機構の、明瞭な瑕疵かも知れない。
2つめは、公共資産としての景観を保持してきた植栽・樹木への態度。
この「まち」でも、住民の自治組織側としては、
植栽などを希望したけれど、現代の統治機構側では、
この植栽・樹木の維持管理という難題は、できるだけ避けようとする。
なぜなのか?
公共の植栽・樹木に対しての、モンスター的な「住民の声」が恐ろしい。
維持管理せざるを得ない自治体にすると、
その植栽・樹木に対して必ず「落ち葉を片付けろ」とか、
「影になって邪魔だから,木を切ってしまえ」という声が寄せられると言うこと。
こういう「声」が、行政側ではいちばん困るのだと。
暴走する現代個人主義ではないかと思われる「声」なのですが、
事実上は、こうした暴走個人主義の独裁状況にならざるを得ない。
植栽・樹木の類は、このような暴走個人主義に
自治体として対応させられることを事実上、意味している。
そういったトラブルのタネについては、
是非止めたいというのが総じての傾向。
そういうなかでこの木々の植栽は,奇跡的に実現できたのだという。
・・・まことに難しい時代なのだと、痛感させられます。
Posted on 3月 18th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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