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世界遺産・河回村追想 人が癒される環境とは?

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駆け足で回った韓国ツアー4日間の旅、
きのう釜山から帰還して,無事終了であります。
一行9人、楽しく旅を出来て親睦も深めることが出来ました。

ザハハディドから、河回村まで、
人間のためのものである建築をめぐる駆け足での旅でしたが、
やはりなんといっても、奇跡のように現存していた
東アジア世界の「桃源郷」ともいえる河回村への思いが募ってきます。
隣国人が遺してくれていた、この人間環境の理想郷は、
実に多くの、人間についてのことを教えてくれる存在だと思いました。
人とは、どのような環境に癒やされる存在であるのか、
深く沈殿させられるようなテーマが、ずっしりとした実感を持ちます。
風水の何であるかは、門外漢にはわかりませんが、
その考え方で人間環境を考えたとき、
このような環境にくるまれて生きることが、究極とされたのだと思います。
そしてそれは実に良く理解出来たのです。
はじめて訪れているのに、DNA的に抗うことの出来ない癒やしを感じる。
時間感覚も、まったく自然リズムそのまま。
住宅建築で使われた素材としても、その寸法の感覚でも、
それらが渾然一体となった空気感としても、
なにひとつ過不足なく、いわば心理と現実の空間に違和感が感じられない。
たまたま、韓国の瓦職人さんたちの一団が改修工事をやっていた。
同じ人間集団の中の住宅サイズの建築の作り手同士として、
ごく自然な語らいが生まれ、やりとりが生まれた。
コトバは全的には通じはしないのだけれど、
片言の会話の中からでも、強いシンパシーを感じる。
素材感といい、空間性といい、いかにも人間くさい環境の作り手として
すぐに打ち解けるような共通認識がそこにあるのだと思う。
いや、むしろ言葉が通じないことで、それ以外の五感を研ぎ澄ませて
人間としての情報を感受しあおうとするのだと思う。
いかにも「伝わってくる」なにものかがある気がする。

環境をあらわす河回というコトバそのままの立地環境は
1枚目の写真でわかりやすかった。
そして村の中心高台には樹齢600年というケヤキの巨木が
ランドマークであり続けたのだという。
さらに、目にも鮮やかな「境界」を感じさせる「芙蓉台」。

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これらの大きな「環境」に抱かれ続けてこの村は
数百年の時を刻み、人々の安寧を守り続けてきた。
そういえば韓国語のアンニョンというコトバには
「安寧」という内意が強いのだとも聞かされた。
人間のやすらかさへの優先度が高い社会をこの民族はつくってきたのかも。
食料生産のための集落組織形態としての「集村」という暮らし方にも
こういった自然的環境要因が無上のリズム感を与え、強く働いていると思われる。
多くの国家的な有為の人材を生み出し続けたという事実にも
こういった土地の「気」が与っているに相違ない。
こういう土地での暮らしが、人間にいろいろな影響を及ぼすだろうことは、
やはりわかりやすく伝わってくる。
そんな余韻が、カラダのなかに住み込み始めていると実感しています。

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