展開が急でしたね。
きのう安藤忠雄さんの会見のことを書いたら、
夕方にはあっという間に、安倍首相が「白紙」宣言。
国防問題という、あまり人気の出ない政策遂行で停滞感の出た
政治スケジュールに於いて、他の問題で国民の関心の高い
この問題で、即断的な対応を見せることで政権浮揚を図った。
結果、新国立競技場という国家プロジェクト問題が大きく動いた。
そもそも新国立競技場はオリンピックの推進のための
目玉的な事業であるワケで、基本的にはそういう事業主体が
統括し、責任を持って推進すべきことがら。
得体の知れない「政治力」というものを期待されて
事実上の推進司令塔に擬せられてきた森喜朗元首相の
「おれもあれはおかしいと思っていた」という発言で、
それがどうにも無責任体制になっていたということが明白になった。
たぶん安藤さんはこの無責任体制のスケープゴート。
で、こういった「国家プロジェクト」として
日本の歴史の中でいちばん象徴的なのは何かと考えたら
この「奈良の大仏」が想起されてきました。
完成披露の開眼会は、当時で考え得る世界の賓客を集めた。
隣国の朝鮮からは皇太子が来たと言うし、
遠くインドからの使節の記録もある。
東アジア世界へ向けて、日本国家をアピールする機会になったという
そういった意味では、たぶん今日のオリンピックをはるかに超えた
大きな「民族体験」になっただろうことは疑いがない。
国威を示す絶好の機会になったのだろうと思います。
仏教というのは、当時、国を超える「普遍的世界性」を持っていた。
今日の資本主義と自由というような「価値感」にも擬せられる。
その象徴的な展示物として、巨大な大仏像が企画され完成を見た。
長年の租税負担を生み、飢饉などの災禍もあって、
民衆の負担は極限にまで達していたに違いないけれど、
同時に、大きな経済発展機会としての公共事業にもなった。
もっともわかりやすいものとしては、
「仏師」というビジネスが大きな産業にもなったことがあると思う。
その後の平泉・中尊寺の発注金額の天文学的規模を見ても
日本ではこういうかたちの巨大生産「企業群」が成立したことが知れる。
その上、この事業の最終過程では、
奥州から産金のニュースが飛び込んできて、
時の天皇、聖武が狂喜したと伝えられている。
その後の日本史の進展の中で大きな存在になっていく鉱物資源が、
この事業の結果としてもたらされた。
今日では、国家としての経済規模もまったく違うから
単純に比較できるものではないけれど、
きっと、いまの混乱と似たようなことは起こっていたに相違ない。
天皇・聖武にとって、
逃げも隠れもできない責任感を持って、立ち向かった事業だろうと。
今回のオリンピックは、前回の東京オリンピックと較べて
「国家の責任感覚」においてどうなのか、
また、はるかな奈良の国家の責任感覚と較べてどうなのか、
考えてみる大きな機会になって来たのではないかと思っています。
Posted on 7月 18th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.