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1950年代東京都市住宅文化の残照

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きのうも触れた江戸川区の住宅です。
「戦後すぐに建てられた」という説明だけだったので、
詳細な建築年代特定はできませんでしたが、おおむね1950年代、
ひょっとすると1940年代建築という建物のようです。
敷地が500坪超ということなので、地域有力者の邸宅だったでしょうが、
震災と敗戦後の住宅ですから、近代の街割りのなかに
違和感もなく、自然に溶け込んでいた住宅だったのだろうと思います。
江戸から自然につながっている
東京のある時代の雰囲気が残されているのでしょう。
「戦後」というと、アバンギャルドで前衛的カルチャーのほうに
耳目が集中するきらいがありますが、
しかし現実的には、それまでの社会規範との連続性を意識した
「保守」的な生活文化が圧倒的に存在していたのは間違いがない。
そういった「分厚い保守」が基本を構成していたからこそ、
アバンギャルドもまた、存在感を持ち得たのだろうと思います。

そんな思いで、この住宅を感受していました。
1枚目の写真は、生け垣越しに見える
建築のフォルムと瓦屋根、妻壁の質感。
均整の取れた屋根の連なりは、静謐な秩序感を伝えてくる。
生け垣はやや手入れがざっぱくになっていて、
しかしそういうやつれ方もまた、ある風情、メッセージになっている。
2枚目は玄関内部の円窓周辺のディテール。
いかにも繊細な障子の格子デザイン、手すり的に使える矮化した木が
得も言われぬ存在感を見せてくれる。
さらに薄く重ね張りしている柱が、そのふたつをつないでいる様子など、
全体として一体感のある生活文化スタイルを主張しているかのよう。
3枚目は、縁側を覆う2.4mの軒の出を支える梁。
長尺で構成されているので、真物の梁同士を継ぎ合わせています。
それに込み栓(コミセン)が付加されています。野地板はヒノキ。
4枚目は、居間に使われた竹のフロア材。足にやわらかい質感。

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まだ建築途中なので、柱などに養生がされていますが、
このような南面縁側が造作されて、深い軒の出(2.4m)が
この中間領域を守っています。
旧家の石材が再利用されて庭園造作に使われるべく、用意されていました。
こういった中間領域は、現代建築ではほぼ無視されていますが、
日本人の生活伝統には切っても切れない空間。
ここから樹木を配置した庭に対面して、四季の変化を体で感受した。
この新たな空間は、旧家の生活スタイルを連続させたい希望に添った
生活デザイン装置であります。
都市東京で、やや大型の住宅とはいえ、
こういった空間装置が一般的だったことが伝わってきます。
かつての「都市住宅」においても、こういった庭と中間領域こそが
日本人にとって大切なライフスタイルを提供していた建築装置、空間。
たぶん、精神生活的にはこういう空間こそがメインステージだった。
建物内部以上に、繊細な感受性を持ってこうした空間を作ったに相違ない。
こう見てくると純和風なだけに感じられますが、壁にはスタイロフォームが
75mm充填され、開口部にも外部アルミとはいえ樹脂サッシが使われています。
詳細な建築仕様は確認していませんが、断熱配慮もされています。

紛れもない「都市住宅」のありようとして、こういう生活文化も
かつて東京には存在していたことを、この建物は教えてくれますね。

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