先日「外構のメンテナンス」について書いたら
やはりその先に「街並み景観」の話題がたくさん寄せられました。
以下、投稿コメントやりとりの要旨抜粋です。
昔、サンフランシスコで見たビクトリアンハウス、
住民がセルフで外壁の塗装を楽しんでる。100年経っても輝いている。
われわれには、そんな余裕ないもな〜!
やっぱり少しずつでも近隣のみなさんのために、
よきメンテナンスを心がけていくべきだ。
公共からの街並み論議は、上から目線で強制方法しか出てこない。
本当は、街を愛しているひとりひとりが
花でも植える、木でも植える、育てるっていうことでしか、
良くなることはあり得ない。
「街のデザインに参加している意識」は大事。かなりの人が
住みたい街や家のデザイン、間取りについては
寝る間も仕事の間も惜しんで考えるのに、家が街並みとなっている
意識はない。意識の持ち方一つで価値ある地域づくりにもなっていく。
「地域に参加する」というのは大変でもある。
でも大切な「公徳心」に繋がる。雪かきみたいな支え合いが、
きっと「街並み」意識にとって大事なのでは。そうすれば自ずと、
近隣に対して「恥ずかしい」という美意識も生まれてくる。
誰でも当たり前にやれることをやる、ということが街並みに、
いつか、凜とした背骨を通していくのではないか。
しかし、こうしたことはどのように伝承・伝達されるべきか、
現代社会では不明になっていることがらだ。
家に手をかけ続けて美しい家並み、街並みを作り上げているという
欧米の「生活文化」について、日本人はいつもそのことに
リスペクトを払ってきたけれど、欧米などの「美しい街」は、
それを創り、維持管理することで、具体的にも利益がある。
不動産価値が上がっていって、自分たち自身が利益を得る
実利がある。住宅のわらしべ長者システムができあがっている。
こうした「生活文化」が日本でも実現することは
素晴らしいかも知れないけれど、簡単でもない。
どうやって中身としての「生活文化」を作って行くのか、
「想像力」が試される。現実に古い日本の街並みを持つ住宅街では、
そのような「具体的な見返り」のないなかでも
美しい街並みは維持されているところも多い。
そういうものを欧米人が「発見」して、街並み価値が高まっている。
嘆いてばかりいても、なにも始まらないのだ・・・。<以上、抜粋終了>
「家を建てる」と言うこと自体ですでにわたしたちは
「街並み景観づくり」に参加していると思うのですが、
外構のメンテナンスを考えることは、たぶん、
この「街並み」に積極的に参加することについて考える機縁になる。
そんな思いで、書き綴った次第です。
ただ、アメリカはほとんどが「建売」を通した住宅販売が主流であり
新設住宅の内、戸建ての「注文住宅」比率はきわめて少ない。
住宅販売事業者が販売するに際して、
こういった「街並み景観」の基本をしっかり創っている。
それに対して、ほとんどが注文住宅で、各戸の建て主が
自由にデザインを選択しているのが日本の実態。
こういった実態を踏まえた上で、どうすべきかを考える必要があります。
Posted on 4月 4th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究
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