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戦国の終結と土木技術

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写真は、先日行ってきた安土城資料館での
「築城作業復元模型」であります。
城の「石垣」用の大石を山の上まで引き上げていく作業の風景。
大木を「コロ」として使って、大石に縄をかけ、
大人数で引き上げていくという作業工程のようです。
こういった復元には、当該の専門史研究者が当たっているでしょうから
おおむねこういった技術で戦国期の土木工事は行われたに違いない。

信長は、それまでの戦国大名とはかなり異質で
兵農分離などを推進したのと併せて
商業への着目などでも先進性を見せていたといわれる。
さらに、秀吉の戦争スタイルに至っては、
戦闘と言うよりも、大規模な土木工事で勝利を収める方向に向かっている。
秀吉軍と対峙した毛利側の諸城郭の守備隊は
かれら攻城軍の「攻め方」に、まるで異次元性を見たに違いない。
それはそれまでに見たこともない大土木工事を眼前に見せつけられること。
敵兵は、その土木工事を守備するのが主任務であり、
自分たちへの直接攻撃はなされないことに、
違和感を持ち続けたに違いないと思うのです。
人造湖に高台部分だけを浮かばせられて、
守備隊長が船で湖上において自殺して戦争終了などという
およそ、それまでの常識では考えられないまでに
日本の土木技術は進化発展したに違いない。
その後の江戸期の江戸の公共土木工事や、
大名庭園文化の発展など
日本人の公共事業や、土木工事というものの
始原形態をこういった光景に感じております。
わたしには、どうもこういった歴史感が沈殿し続けている。
ある時点から、商業資本の蓄積が水位を超えて
発展してきた土木技術を手段として、
信長・秀吉・家康といった変化に柔軟な武将たちが勝利する
その蓋然性を高めてきていたのではないか。
そんな夢想、妄想をずっと抱いております。
それにしても、綱引きの先頭の人、大変でしょうね(笑)。

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