上棟式って、建物の構造が出来上がっての儀式。
最近は、まったくやらないケースが増えているそうです。
住宅とはいっても、現在建てられているものは、
この写真の頃のような希少価値のあるものではなくなっているので、
まぁ、家という概念の喪失過程で、
このような儀式性も喪失の方向に向かっていくものなのでしょうか。
それにしても、明治のはじめ頃という
この写真の住宅の豪壮ぶりと、人足数の多さなど、
家を建てるという社会的意味合いは、相当のものだったと推測されますね。
一般人は、都会では長屋という協同賃貸住宅が主であり、
田舎では、地主と小作では社会的格差は巨大だった。
地主で自作農という旦那さまの邸宅は、
このような「上棟式」にそれこそ似合った格式だったのでしょう。
一方の小作の方は、小屋といったほうが正確だった。
その後、戦争を経て、小作制度がGHQによって解体され、
社会構造がフラットな方向に「民主化」された。
しかも戦後発展した、人口の都市集中と産業の工業化が
このような希少価値を持った、旦那による「普請」から、
住宅金融公庫の貸し付けによる、
農家の次男三男という、それまでは「家を持つ」ことなど夢のまた夢だった階層が
都市での労働者となり、自分の家を建てることが可能になった。
この写真のような上棟式など
夢に見ようとしても、見果てぬ夢だった階層が主役になったのですね。
よく、「邸」と「宅」は違う、と言われますが、
戦前までのこのようなお宅は、まさに社会的に「邸宅」であり、
戦後、大量に建てられた都市住宅は、
本来は「宅」でしかなかったのです。
そういう意味では、上棟式というような行為が
廃れてきているというのは、きわめて自然なことだと思われます。
今日の狭小住宅地での取材などを見ていると、
それがどんなに個人的好みを映し出そうと努力していたとしても、
しょせんは、都市大量居住のための「長屋」の現代版、
というようにしか、考えられないのかも知れません。
社会的な関係性を大きく表現したような
このような「上棟式」を行うシステムではなく、
きわめて「個」の要素が強く反映しつつあるのが、今日の住宅なのかも知れません。
家を持つと言うことの意味合いが、
大きく変化してきている中に、いまのわたしたちの
家づくりというものはある、ともいえるのでしょう。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び
Posted on 1月 12th, 2009 by replanmin
Filed under: 住宅取材&ウラ話
上棟式もそうですが、地鎮祭を行わないのがほとんどではないでしょうか。とても残念です。儀式だらとか、お金がもったいないからやらないという理由で、何もおこなわい施主が多くなってきたように思われます。もう一度、地鎮祭、上棟式、完成式の意味を考えてほしいと思います。