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沈黙が支配する季節

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寄る年波、ということでしょうか?
ごくなにげない風景やことがらに無性に思いが募るときがあります。
以前ならば、そう感じもしなかった北海道の冬景色。
どこにでもあるような冬の寂寥たる景色にこころが騒ぐ。
っていうようなことを感じておりましたら、
おとといのJIA出江寛会長のお話の中の一節がこころに飛び込んできました。
優れたデザインの中には、沈黙が仕組まれている・・・。
というべきなのかどうか、
そこまで言い切っては、出江寛さんの論旨をはずれるかも知れませんが、
文化性を持った都市には、かならず沈黙が支配する空間が豊かに存在している
というご意見でした。
京都の龍安寺石庭などを例として示されていました。
そしてそこから、日本デザイン文化の持つ、
「間」の文化と、「対比性」にも触れられていて
氏の設計の根源的な考え方が、目の覚めるように見えた瞬間でした。
出江寛さんの感じられている「沈黙が支配する」街として
京都・奈良・倉敷の3つの都市が上げられていました。
それぞれに、深く納得できるお話しだったと思います。
しかし、
北海道の寂寥とした冬の季節、その景観を
目に焼き付けながら育ったものとしては、
そのような人間の作り上げた世界を超えて、
この、ごく身近に感受できる場所に、ことばそのまま、
「沈黙が支配する」空間世界が、
わたしたちを包み込んでくれていると感じてしまいます。
写真はつい先週、ふと訪れた支笏湖の景色。
冬枯れた世界、凍り付く直前の光と影の世界です。
豊穣なモノクロームの世界、とでも言える世界なのではないかと感じます。
しかし、都市としての札幌には
確かに、そのように文化的意図を持って、
「沈黙が支配する空間」というものが存在するか、と
問われれば、たいへん心許ないと言わざるを得ません。
なにもかも「つるりとした」味気ない近代合理主義的な
「建築材料」が幅を利かせる都市空間だと思います。
さみしい、と言われれば、その通りです。
こういう写真のような荒涼たる世界に似合うような
住宅建築って、やはりどんなものなのかと、
振り返って再び考え込んでしまいます。
以前、リレハンメルでオリンピックが開かれたとき、
それをアピールする環境映像が流され、
そこに存在している素朴な住宅達が、
なんとも言えず人間的でかわいらしかったことを覚えています。
北国の人間を癒す、沈黙が支配する(住宅)建築って、さて?
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

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