きのうは札幌から仙台へ移動。
本日、郡山で講演を頼まれまして、その前乗り。
なんですが、先週末以来、風邪気味でなかなか抜けない。
散歩なども出来ないし、運動不足。どうもスッキリしません。
そんなことでまだ、講演パワーポイントデータを制作できていない。
ヤバいので、早めに福島県入りして、ホテルで制作しなければ。
ただしホテルチェックインまでに若干の時間があるので、
仙台空港からレンタカーでややゆったりと南下。
途中、なにやら心惹かれる古社が・・・。
わたし、こういう古社には弱いのであります、つい写真を撮りたくなる。
北海道には、いわくのある古社がないというコンプレックスからか、
本州地区にいると、無性に焦がれる部分があります。
諏訪神社: 延元元年(1336)に鎮守府将軍・北畠顕家が、
義良親王を奉じて陸奥に下向した際、信州諏訪大社から
諏訪大神の分霊を勧請し、(この地に)古くからあった佐久良(佐倉)神社に
合祀されたと伝えられている。
その後、伊達政宗が、相馬遠征の際当社に戦勝を祈願し、
その凱旋のときに金幣帛や烏帽子・日色鈴を奉納して、
天正18年(1590)に社殿を造営したと伝えられるが、
現在の社殿は、本殿が享和3年(1803)、拝殿は文化4年(1807)に、
村民の寄進によって建造されたものである。
建築様式は、本殿が一間社流造り、拝殿は入母屋造り平入で、
妻飾の虹梁・蟇股・木鼻などは華やかな彫刻で飾られ、
江戸時代後期の特色があらわれている。
石鳥居は、安政4年(1857)に建立された明神鳥居で、
高さが約4.2m、笠石は約5.7mあり、市内の石鳥居の中では最も大きい。
というような由緒書きであります。
いきなり、「鎮守府将軍・北畠顕家」が出てきますね。
ちょうどいま、南北朝期の動乱期のことを記述した
「戦争の日本中世史」という電子書籍を読んでいまして、
自分の所領を増やしたい一心で、しかし動乱の中で浮沈せざるを得ない
かれら武家の経済戦争ぶりが丹念に研究されている一冊であります。
もともと南朝側の京の公家でありながら
奥州の武家あるいは蝦夷たちの統領になって活躍した
鎮守府将軍・北畠顕家というのは、興味ある人物なのですが
それ以上に、かれを擁立して所領拡大を目指していた
奥州の武家・蝦夷たちのギラギラした欲望も、残照のように見えてきます。
この公家に率いられた一軍はなだれのような急行軍で
足利尊氏軍を京都から駆逐したことで有名。
日本史において、東北の武権が日本中央政局を席巻した唯一の戦史。
ただし、その後も浮沈変転きわまりない状況が続き、
また、強固な政治的基盤を持っていない孤軍であったので、
天下に覇を唱えるまでには至らなかった。
という故事を想起させる神社でした。
日本の古社には、こういった血生臭い来歴があるものが多い。
戦争と信仰は深く結びついて存在していると思います。
Posted on 11月 22nd, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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