はじめに言います、iPhone機器からの「放熱」のことではありません(笑)。
どうも先日のAppleの発表以来、
「そうだなぁ、おれも換えるかなぁ」という気になって、
お願いしていたiPhone6プラスが到着したようです。
って、わたしはきのう青森への出張でまだ札幌に帰っていないので、
実機は確認しておりません。
写真は、カミさんが「こんな感じだよ」と送ってくれたもの。
auさんが、いろいろ便宜を図ってくれたのです。
一時期までのWindowsの発売キャンペーンのような熱気は
いまは、完全にスマホに移行してきたようで
きのうは各地で騒ぎにもなっていたようですね。
中国での発売がまだ未定ということで、
熱心な中国ユーザーが、円安にもなっているので
日本でゲットして、中国国内で転売しようと考えて行動した。
なぜ中国での販売を未定としているのか、
Appleの真意はわかりませんが、
日本での狂想曲の付加要因にはなったようです。
SNSのようなコミュニケーションが一般的になって来て
そのメインのデバイスとして、スマホに移行してきているのでしょう。
こうした動きを見ていると
けっこうな影響を受けるのは、既存メディアであるかも知れませんね。
今回の朝日新聞の世間からの完全アウェー状態って
実は、人々のコミュニケーションがスマホSNSメインに変わってきたことが
そのひとつ大きな要因ではないかと思っている次第です。
これまでのコミュニケーションは、それこそメディアとしての
マスという大きさ、規模による影響力というのが強大で、
戦後民主主義価値観をリードしてきた朝日新聞などは、その点で
さまざまにそこから利益を享受してきたのだろうと思います。
わたし自身も、かつてはその影響を強く受けていたと思います。
朝日的なスタンスが、まぶしくもあり、無意識的ではあれ
多くの人から「いい人」と思われやすい定番の善良市民スタンスだった。
しかしそうした「大衆洗脳・情報垂れ流し・一方的受け身」的な情報接触から
いま、多くのひとびとが離脱してきて、
メディアの洗脳にきわめて懐疑的になっていることが背景にあるのだと思う。
今回の件が「分水嶺」だと思うのは、そういう意味合いが強い。
いまだに朝日は、慰安婦問題で「広義の強制性はあり、女性の人権問題」であると
自己を正当化しようとしているけれど、
そのようなイデオロギーを一般に強制するのがメディアというものなら、
取得する側としては、もっと情報に多様性を担保すべきだ、と
一般大衆の側が、スマホでのさまざまな情報取捨選択というかたちで、
アンチテーゼを差し示してきているのではないだろうか。
そしてこうしたメディアでの情報やり取りは、
「簡単に炎上しやすい」特性も持っている。
そのような時代的な変化を、いまの朝日は舐めきり完全に見誤っている。
どうもそんな気がしてきている昨今であります。
あ、iPhone話が、朝日の話に変わっている(笑)。
羊頭狗肉のような展開でたいへん失礼しました。
Posted on 9月 20th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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