写真は「江戸東京博物館」に展示された住宅実例。
開国して以降、横浜を中心にして、欧米文化が流入してきたなかで、
いちはやくそうした西洋の「住文化」を取り入れて
日本の伝統的民家と折衷させたような住宅が建てられたという。
そこまでの流れは、北海道でも同様のことだったけれど、
しかし北海道に残る洋風住宅の残滓には、
はじめから徹底した洋風への傾倒があるのに比べて
見学した明治初年の東京の住宅には、やや違いを感じました。
ごらんのように、古材のような梁がわたっていて、
和風民家のたたずまいに、洋風の造作が追加されたような味わい。
で、手前側の、たぶん縁側を改造して室内に取り込んだ部分には
ロッキングチェアのような椅子が配置されていて
ひだまりを楽しむような空間装置になっている。
やはりこういった温暖な地域での住宅デザインのありように
同じ洋風建築とは言っても、北海道の建物との違いを感じる次第。
北海道に残る木造建築、たとえば豊平館や時計台などでは
寒冷地建築として、窓が小さかったり、
サンルーム的な空間装置などはお目にかかったためしがない。
この時代、欧米でも寒地住宅の技術は確立していたわけではなく
まずは暖房器としての暖炉やストーブ、
そしてデザインとしては窓がきわめてささやかな開口に止まったり
というような段階にあったのでしょう。
世界の寒冷地域でも時間の差は多少あったにせよ、
北海道の住宅がどんどん性能向上していったのと、ほぼ同時並行的に
進行していったのだなと思われるところ。
北米での「パッシブハウス」の状況を、在住の日本人建築家に聞いたところ、
アメリカでも、カナダ以外では日本の状況と50歩100歩だということ。
とくに、アメリカにはハワイ・フロリダのような蒸暑地域から
カナダに隣接する地域など寒冷地域まで包含していて
住宅スペックの状況はそうドラスティックではない。
そんな風に考えていくと
北海道が、地域全体としてQ値1.6レベルの住宅を
既存住宅を含めて半数以上が達成しているというのは、
かなり特異的なことがらであるのかも知れないと思います。
しかし、この写真のような住宅デザインのありようには
現代のわたしたちの感受性に通じるものもあって、
日本人の文化咀嚼力のたくましさも感じさせられるところ。
しばし、足を止めて見入っていた次第です。
Posted on 4月 2nd, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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