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高齢夫婦2人、居間の要件

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写真は、先日見学した北海道旭川地域での住宅。
「北の住まい設計社」によるご高齢のご夫婦2人のための家です。
現代は、人間の快適欲求が追い求められている稀有な時代だと思います。
わたしは、住宅というゾーンで変化と方向性を見つめ続けている立場で
いつも思うのですが、
これまでの社会では王侯貴族であるとか、
大土地所有者、大金持ちしか、享受できなかったような「快適性」が
市場原理、資本主義的な「普遍性」によって、
ごく普通のひとびとにまで行き渡りつつある社会なのだと思います。
王侯貴族の住まい、たとえば桂離宮であるとか、
皇族のために明治期に建てられた「別荘」なども見学したことがありますが、
それらは、装飾性においては格別ではあっても、
科学されたような「快適性」という面では、まったく劣悪だった。
というか、考えが及びもしていなかった。
むしろ古代ローマの追い求めたような暮らしの快適性、
奴隷制度という労働力によって支えられた社会的な富が、
「公衆浴場」的施設内での安逸な「いごこちの良さ」に向かっていたのと、
似たような快適性追求が行われてきていて、
それがまた、かなりの「普遍性」で実現された上で、
さらに上の「快適性」に向かっていっているのだと思います。

いま、現代の日本では
家族数が決定的に少なくなって行っている。
高齢化の進展で、そのような世代にとっての「快適性」が問われている。
住宅建築的なアプローチと、
社会的な「安心感」というようなアプローチと両方がある。
高齢者のための高額な介護つき「終の棲家」というような方向性は
一定の富裕層にアピールしたけれど、
そうした層の需要が一巡してきて、
やはり建築的アプローチが求められるのかも知れない。
作家の倉本聰さんは、棺桶に入ってから、火葬場に行くまでの
尊厳を持った旅出というようなことを論じられていましたが、
そこまでのことは考えないまでも、
しかし、豊かさや安心感を感じられる建築的装置の発展は必要になる。
さて、その中身がどこに核心があるのか。

写真のような居間も、やはりあり、なのでしょうね。
外光導入は、外部との交流というよりも、
室内に必要な明度の確保に絞った窓形状として実現させている。
そして、多くの家族ではなく、夫婦2人だけの楽しみとしては
テレビとかの情報娯楽よりも、主役には炎をたのしむ薪ストーブが据えられている。
結局、ゆらぎのような炎が根源的にひとを癒す力を持っている。
北海道の釧路郊外の高台傾斜地の別荘地では、
真西に向かって2層分の大きな窓が開口された居間で
安楽椅子に座って、毎日の「落日」を眺め続ける暮らしが実現されていたけれど、
ごく単純で永遠な「ゆらぎのあるもの」が、求められるのではないか。
わたし自身も、毎日の夕陽が最大の楽しみであるという暮らしようには、
強く心が惹き付けられる思いがする。
そんなことを想起し続けていました。

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